山田義塾
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山田義塾(やまだぎじゅく)は、かつて存在した学習塾チェーン。
開成高等学校から早稲田大学法学部に進学した山田圭佑が大学生時代に開校。1980年代に埼玉県を中心に展開し、同業だった東大セミナーや武久など中堅の学習塾を買収、北関東有数の学習塾に成長した。1988年には茨城県鹿嶋市に鹿島学園高等学校を開校。塾の方式を公教育に持ち込み、地方の進学校を目指した。
しかし1990年代に入ってバブル崩壊と少子化の煽りで山田義塾の経営が悪化。1992年には鹿島学園高校を常総学院に売却(その後再度の売却を経て現在は中堅予備校の早慶外語ゼミが同校を経営)、更に不採算校舎の閉校などリストラを進めたものの経営状況は悪化の一途をたどり内部紛争が勃発。結果として山田義塾から「THE義塾」「SHIN義塾」が分裂し、更に債権者によって1997年には山田が社長を解任される。この時名称を山田義塾からAETAと変更したが、運営上の混乱から生徒を集め難くなり2000年にAETAは倒産。「THE義塾」はビジュアルビジョン(こうゆうかんを運営)に買収され現存。「SHIN義塾」は2001年に倒産した。(なお現在もSHIN義塾なら塾があるようだが関係は不明)。