ノート:山陽道
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「大部分が旧国道4号線、大正以降は国道2号線に引き継がれたが、」と書き直しましたが、これも正確には正しくありません。
まず明治期には旧街道をほぼそのまま国道とし、起点は全て東京としていました。1号線は東京~横浜、2号線は東京~大阪、3号線は東京~神戸、4号線は東京~長崎です。ほとんどの区間はそれより数字の少ない国道と重複していましたので、実質的には神戸~長崎が4号線となります。
この国道番号は大正期に改変され、1号線が東京~伊勢神宮、2号線が東京~三重県三重郡日永村で1号線と分岐~鹿児島となりました。山陽道の区間については数字は現在と同じ2号線ですが、現在の国道2号線(大阪~門司)とは区間が異なります。詳細は近代国道路線一覧を参照下さい。
ここは山陽道の記事なので、国道の変遷について長々と述べても仕方がないと考えて、上記のように書きましたが、あまり良いまとめ方ではないように思います。どうすれば良いものでしょうか。nnh 14:04 2003年9月15日 (UTC)
- 元の記事を書いた者です。すばやい訂正をありがとうございます。個人的には、バランスよりも、典拠にできる正確さが大事だと思います。山陽道は現在の国道2号線と書いてある本を読んで勘違いした人間もここにいますし・・・。ここに書いてもらう方がよいと思います。Kinori 07:06 2003年9月16日 (UTC)
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- はい、良い感じですね。Kinori 07:30 2003年9月16日 (UTC)
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