岩倉具栄
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岩倉 具栄(いわくら ともひで、1904年2月8日 - 1978年11月2日)は東京府出身の英文学者、公爵。法政大学教授。
公爵岩倉具張の長男。父方の曾祖父は岩倉具視。母方の祖父は西郷従道。
父具張が投機に失敗して多額の負債を作ったため、責任を取って官職を辞し隠居。このため、1914年9月5日、具栄が公爵の位を継承。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。具栄の志は英文学研究にあったが、家庭の事情によって内務省に入り、社会局労働課の嘱託を経て、1930年春から帝室林野局の属官となる。
1933年3月、妹靖子が左翼活動の嫌疑で逮捕投獄され、同年7月1日に起訴。このため、具栄は責任を取って林野庁を辞職。以後は英文学翻訳の道に進む。同年12月11日、靖子は保釈されたが、同年12月21日、手首を切って自殺を遂げた。
この事件で大きな衝撃を受けた具栄は数ヶ月間を茫然自失して過ごしたが、のち法政大学教授となり、D・H・ローレンスの研究に専念。訳書に『ローレンス短編集』などがある。
妻良子(よしこ)は伯爵藤堂高紹の長女。長男の岩倉具忠はイタリア文学者で京都大学教授。次男の岩倉具房は株式会社ウテナ社長。
[編集] 参考文献
- 浅見雅男『公爵家の娘─岩倉靖子とある時代』2000年、中央公論新社 ISBN 412203731X
- 岩倉具栄とその時代刊行会編『岩倉具栄とその時代』1980年、岩倉具栄とその時代刊行会