岩釣兼生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年○月○日 - )は、日本の柔道家。
熊本県出身。熊本県立鹿本高等学校を卒業後、拓殖大学に入学。不世出の天才木村政彦に師事する。当時の木村の指導方法は、気が向いたら真夜中だろうと部員を叩き起こすという物で、1日のうち24時間が練習時間と言っても過言ではないくらい厳しいものであったとされる。そんな厳しい状況下でも耐え抜き、木村の一番弟子と呼ばれたのが、他ならぬ岩釣である。大学4年次の1965年には全日本学生大会決勝でそれまで4連覇していた明治大学を破り、拓殖大学を初優勝に導く。
大学卒業後は兵庫県警に入り、各種警察大会で活躍。1971年には全日本選手権でも優勝を飾る。オリンピックや世界選手権での優勝経験はないが、それら世界大会よりも勝つのが難しいと言われる全日本選手権で優勝した事は、当時の岩釣の実力が世界でもトップレベルであった事を物語っている。事実、世界選手権優勝者の佐藤宣践や後のオリンピック金メダリスト二宮和弘らを退けての優勝であった。
現役引退後は母校・拓殖大学でコーチや監督を歴任。1988年のソウルオリンピックではその指導力を買われ、エジプト代表チームの監督を務める。その後、講道館での指導員を経て、現在は東洋大学にて後進の指導に当たっている。
なお柔道修行の一環としてサンボも経験しており、1969年にロシアのモスクワで開催されたサンボ国際トーナメントでは優勝を果たしている。