岳南鉄道1100形電車
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岳南鉄道1100形電車は、岳南鉄道に在籍していた電車である。 大きく分けて3つのタイプに分けることができる。
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[編集] モハ1101~1106
両運転台の電動客車で、木造車などの台車・電装品を流用して車体を新製したものである。 1959~1962年に日本車輌と汽車製造で製造(実際は改造扱い)された。
[編集] 概要
いわゆる日車標準型と呼ばれる車両で、窓配置はC3'-d2D6D2d。張り上げ屋根で、窓は上段Hゴム、下段上昇窓のいわゆる「バス窓」となっている。
モハ1101、1103、1106の3両が日本車両で、1102、1105の2両が汽車製造にて製造された。なお1104は、忌み番号として欠番となった。このうち、1105の車体はセミステンレス製であったのが特徴である。同車は汽車会社の試作的要素を持ち、国鉄技術研究所で行われたアジア鉄道首脳会議(ECAFE)鉄道関係展示会に出展した。
下回りは、台車・主電動機等は種車により異なるが、制御器は手動加速式のHL式に統一されていた。これは、1971年および1974年に、国鉄から譲りうけた電空カム軸制御器のCS-5に交換されている。
車内は鋼製車の1101~1103の3両は床が木で、セミステンレス車の1105はリノリウムであった。
岳南鉄道では1両のみで運用されることは少なく、通常、当形式または他形式の車両と2連(混雑時3連)で運用されることが多かった。
[編集] 廃車とその後の動き
モハ1102が、衝突事故により1969年に廃車になったほかは、1981年に東急5000系が転入した際に廃車となる。
このうち、鋼製のモハ1101、1103、1106の3両が近江鉄道に譲渡され、 モハ101~103となった。同社では、ワンマン運転化改造の上で単行用として使用されたが、1993年以降、名義上220形への改造の種車となった。
一方、ステンレス製のモハ1105は大井川鉄道に譲渡された。大井川鉄道では、車体の保守が容易であることや、珍しく単行型の電車だったことから重宝され、閑散時の単行運転、多客時の増結、短距離の区間運転、オープン客車の牽引など、様々な用途で使用された。足回りの急激な老朽化により1996年に廃車されたが、そのまま千頭駅で倉庫として使用されており、岳南1100形の車体新製車の中で唯一の現存例である。
[編集] モハ1107
もと小田急電鉄1350形クハ1352で、1927年藤永田造船所製。もとは小田原急行電鉄開業時に製造されたモハニ154である。両運転台の電動客車に改造の上、1969年に入線した。
窓配置はF3'-d1.1D8D1.1dで、客用窓は一段下降式である。制御器は当初HLであったが、1974年にやはり、国鉄から譲りうけたCS-5に交換している。
1976年に電装品を他車に譲り、片運転台の制御客車に改造された。車番もクハ2602となったが、1979年にクハ1107に再度改番された。
廃車はモハ1101~1106と同じ、1981年である。車体は比奈駅構内で倉庫として使用され、現在も存在する。
[編集] モハ1108
もと小田急電鉄1600形デハ1607で、1942年川崎車両製。1969年に入線した。 この車両のみ片運転台で、小田急から同時に入線したクハ2106(小田急クハ1659 1953年東急車両製)と2両固定編成で使用された。
窓配置はC3'-d1D4D4D2で、客用窓は2段式である。
制御装置は、この車両のみABF式である。廃車直前は、モハ1108-クハ2106-モハ1603(もと小田急デハ1604 1942年川崎車両製、1972年入線)と3両編成で使用された。
[編集] 参考文献
亀井秀雄「岳南鉄道車両ガイド」 鉄道ファン244号 交友社 1981年8月