嵐璃寛 (5代目)
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五代目嵐璃寛(ごだいめ あらし りかん、明治4年3月11日(1871年4月30日) - 大正9年(1920年)9月6日)は大阪の歌舞伎役者。本名。浅川岩五郎。俳号は獅子。屋号は葉村屋。
大阪南宗右衛門町の生まれ、生家が四代目嵐璃寛の贔屓であったが倒産したので、1875年(明治8年)、璃寛の養子となり翌年の道頓堀中座『傾城阿波の鳴門』で巡礼お鶴役で嵐秀二郎と名乗り初舞台。1881年(明治14年)養父と上京、9月の市村座で二代目嵐和三郎を襲名。1888年(明治21年)京都北向芝居で五代目嵐徳三郎を襲名する。
上方歌舞伎の名家の御曹司として人気も上昇するが、驕慢さが目立つようなり、しばしば駆け落ち騒ぎをくり返し、関係者の顰蹙を買う。ファンからも「駆落役者」と悪口を言われた。女形で線の細い芸風であったが上記のような言動が災いして大成しなかった。1918年(大正7年)大阪中座で五代目嵐璃寛を襲名するが、間もなく没した。
門人に六代目嵐徳三郎がいる。