嵐徳三郎 (6代目)
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六代目嵐徳三郎(ろくだいめ あらし とくさぶろう、1883年(明治16年)3月24日 - 1955年(昭和30年)11月8日)は、大阪の歌舞伎役者・映画俳優。
文楽の人形遣い桐竹紋十郎の子で、祖父は四代目嵐璃寛。1889年(明治22年)五代目嵐璃寛門人として大阪角座で嵐徳太郎の名で初舞台。1896年(明治29年)四代目嵐和三郎を襲名。女形として活動を続ける。1929年(昭和4年)大阪八千代座で六代目嵐徳三郎を襲名後、甥の嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)が映画界で活躍したのを機に1931年(昭和6年)頃、映画界に転向。寛寿郎プロに所属、甥の主演した鞍馬天狗シリーズ、むっつり右門シリーズなどの時代劇に脇役として出演する。のち新興京都、松竹下加茂、大映京都などに所属ののち、1952年(昭和27年)ごろまで映画界で活躍した。1941年(昭和16年)2月封切の溝口健二監督、中村扇雀(のち二代目中村鴈治郎)主演の映画『芸道一代男』では、明治頃の歌舞伎界の時代考証を担当した。一方では小芝居で座頭を勤めていた。