市橋政信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市橋 政信(いちはし まさのぶ、元和9年10月5日(1623年11月26日) - 元禄17年1月1日(1704年2月5日))は、近江仁正寺藩の第2代藩主。父は初代藩主・市橋長政(政信は長男)。母は小山田茂誠の娘。正室は板倉重宗の娘。継室は溝口宣直の娘。官位は従五位下、下総守。
元和9年(1623年)10月5日、江戸で生まれる。幼名は兵吉。慶安元年(1648年)、父が死去したため後を継ぐ。このとき、弟の市橋政直に4000石(または1000石)を分与した。駿府城の加番や京都警護などを務めている。元禄17年(1704年)正月1日、82歳で死去し、後を養嗣子の市橋信直が継いだ。墓所:東京都荒川区西日暮里の南泉寺。
|
|
|