常識
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常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。そのほとんどは暗黙のルールの一種である。
その社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。これは文化摩擦などとして表面化することもある。
(非常識も参照)
[編集] 常識と真理
ある社会の常識が必ずしも普遍的な真理とは限らないことが多い。ある社会における常識が、別の多くの社会において非常識とされることもある。卑近な例を挙げると、関西地方以外の日本全域と関西地方では、急いでいないエスカレーター利用者はエスカレーターの左右どちら側に寄るべきとされているかが違う(尚、エスカレーターに片寄って乗るとエスカレーター自体に悪影響を及ぼす可能性がある為、メーカー側はエスカレーターの真ん中に立つよう推奨している)。
自然科学の知見や、その他の学問的な知見はしばしば普遍的な真理と同一視されるが、常識がこのような知見と必ずしも一致しないことも広く知られている。様々な健康法や民間療法が近代医学の知見と大きく異なっていること、などはその例である。ただし、ある学問的知見が普遍的真理であるとも限らない。過去に学問的知見の一部として提唱された価値判断の中には、今日の常識や学識によって否定されているものもままある。かのアルバート・アインシュタインは「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」という言葉を残している。 哲学者の三木清によれば、常識の上位概念として良識があるという。常識人が常識を無謬のものとして受容し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。
一部の常識は、メディアを通じた大衆操作などによって大きく変動することが多い。また、それが衆愚政治の原因となることもある。