平岡権八郎
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平岡 権八郎(ひらおか ごんぱちろう、1883年 - 1943年)は洋画家。新橋竹川町の料亭・花月楼の跡取り。士族。
旧姓は多賀で、花月楼(明治元年創業)を経営する平岡廣高(1860-1934)の養子になった。竹内栖鳳や黒田清輝に師事し、洋画家として知られる。1911年、松山省三とともに銀座日吉町にカフェ・プランタン(日本初のカフェー)を開業したことでも文化史上に名を残している。
関東大震災後、神楽坂にカフェ・プランタン支店が開業したが、ここへ上海帰りの平岡が麻雀を持ち込み、流行させた(麻雀史ではプランタン時代という)。
洋画の他、帝国劇場の舞台装飾も行った。また新橋演舞場の取締役も務めた。
父の平岡廣高は大正3年、鶴見に2万5千坪の遊園地、花月園を開園させたことでも知られる(跡地は現在の花月園競輪場)。
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