平松家
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平松家(ひらまつけ)は桓武平氏高棟王流で、西洞院時慶(従二位・参議)(1552年 - 1640年)の次男平松時庸(ときつね)(従二位・権中納言)(1599年 - 1654年)を祖とする堂上家。
後水尾天皇の側近だった西洞院時直(従二位・参議)(1584年 - 1636年)は長兄、長谷家の祖長谷忠康(正三位・民部大輔)(1612年 - 1669年)及び交野家の祖交野時貞(大膳大夫)は弟に当たる。
家格は名家、江戸時代後期の平松時章(1754年 - 1828年)が正二位・権大納言に上った以外、歴代当主の極官は正二位・権中納言である。平松時方(従二位・権中納言)(1651年 - 1710年)は、野宮定基らと並び有職故実に詳しく「有職四天王」の一人に数えられる。更に議奏になるものも出た。そして平松家からは石井家が分かれ出た。
江戸時代の家禄は200石。戊辰戦争の際にはその戦功により賞典禄50石が与えられた。明治時代以降は子爵。
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