建部政和
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建部 政和(たけべ まさより、天保4年(1833年) - 文久3年2月2日(1863年3月20日))は、播磨国林田藩の第9代藩主。父は第8代藩主・建部政醇。正室は松平正義の娘。継室は朽木綱張の養女(朽木綱條の娘)。官位は従五位下、内匠頭。
嘉永2年(1849年)2月(または4月)、父の隠居により跡を継ぎ、同時に叙任した。幼少期より聡明で、治安強化や二条城で大番頭などを務めて功績を挙げた経緯から、幕末期には佐幕派の立場で尊王攘夷運動の弾圧に努めたが、文久3年(1863年)2月2日に31歳で若死にした。跡を弟の建部政世が継いだ。墓所:京都府京都市北区紫野の大徳寺芳春院。
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