彭明敏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
彭明敏(ほうめいびん、1923年8月15日 - )は、台湾の国際法学者。元台湾大学教授・政治学系主任、現・総統府資政(上級顧問)。その著書『台湾の法的地位』(東京大学出版会、1976年)は、台湾独立論の法的根拠である台湾地位未定論の古典として有名である。
東京帝国大学在学中に徴兵され、長崎に向かう途中の船上で米軍の爆撃を受け左腕を失った。長崎到着後は兄宅で療養していたが、原爆投下に合った。終戦後、台湾に戻り、1948年に台湾大学政治系を卒業した。その間、彼の父は高雄市で228事件処理委員会の一人として中国国民党軍と面会したが、捕らえられて他の委員が惨殺された中、彼の父のみ釈放されたという。台湾大学卒業後、第一銀行に勤務したものの、すぐ大学に戻り助手となる。その後、カナダ・マギル大学で修士号、フランス・パリ大学で法学博士号を取得した。
1964年、台湾大学の院生・謝聰敏と中央研究院の助手・魏廷朝とともに「台湾自救運動宣言」を発表し、8年の実刑判決をうけた。しかし、アムネスティ・インターナショナルが彼の釈放を要求したため、蒋介石も彼を釈放した。そして、1970年に海外脱出に成功し、その後20年余りの亡命生活を送った。その間、台湾独立運動に参加した。
1990年の国是会議に招聘されたが、指名手配が解除されず、また同会議に法的な権限がないため、参加しなかった。1992年に指名手配が解除されたため、帰国した。1995年に辜寬敏らの勧めで民進党に入党し、1996年には民進党の総統候補として出馬したが、落選した。選挙終了直後(同年)、民進党を離党し、建国会を結成した。2000年5月、陳水扁総統により資政に任命された。