台湾独立運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾独立運動(繁体字漢字:台灣獨立運動、台湾語:Tâi-oân to̍k-li̍p ūn-tōng)は、台湾に台湾人が主権を有する独立国家(台湾国)を建設する事を目指した政治運動。略称は台独(台獨、Tâi-to̍k)。ただし、1945年の台湾の中華民国編入を境として、運動の性質は変質している。
目次 |
[編集] 運動の区分
台湾独立運動の起源は、第二次世界大戦以前の日本による台湾出兵にまでさかのぼる。ただし、多数の学者は、第二次世界大戦の終結と中華民国の台湾領有の前後では独立運動の性質が異なっているとしている。日本統治時代の台湾独立運動は、「台湾民族運動」やそれに類似する標目も同時に多く用いられ、日本の帝国主義的な台湾支配に対して対抗することが運動の本質であった。しかし、第二次世界大戦後の台湾独立運動は、台湾を領有した中華民国国民政府が対象となっており、更に近年では、台湾の領有権を主張する中華人民共和国への対抗も運動に加わっている。
現在の台湾独立運動は、台湾を中国とは政治的・文化的・地理的に別個な地域であるとして、台湾に現存する「中国の国家」中華民国の政治体制を変革することで、中国から分離した台湾に台湾主権の独立国家台湾共和国を樹立することを目標としている。この運動は、泛緑連盟によって支持されているが、一方で中華民国の中国再統一を志す泛藍連盟や、台湾の領有権を主張する中華人民共和国による反発を受けている。台独運動は、正式な台湾の独立宣言が中台間の軍事衝突を引き起こす可能性を孕む一方で、アメリカや日本の局地的な支持を受けている。
[編集] 中華民国編入以前の台湾独立運動
1945年の日本敗戦に伴う、台湾の中華民国編入前の台湾独立についてまず指摘すべきことは、台湾は一度「台湾民主国」として東洋初の共和国として独立したことである。日清戦争後の下関条約の結果、清国は日本に台湾を割譲することになったが、その際、台湾民主国として一時独立国が成立した(黄昭堂:『台湾民主国の研究―台湾独立運動史の一断章』東京大学出版会。1970年)。しかしこれは清朝の士人を中心とした一時的なもので、永続しなかった。台湾の文化的自立などの運動を除き、政治的な独立運動に限って言えば、1945年以前の本格的な台湾独立運動は、台湾共産党によるものである。1920年代、台湾共産党は、日本共産党の指導の下にあり、これがコミンテルンの指示を受け、日本帝国主義からの独立を目指した。その時期から1945年直後の台湾独立運動の代表人物として、謝雪紅などが上げられる。彼らは中国共産党に社会主義理念から台湾独立を訴えたが、中共は台湾統一という領土拡張を優先した結果、彼らの多くを追放し、コミンテルン以来から行われてきた台湾共産党の主導による台湾独立運動は消滅した。
[編集] 中国国民党独裁体制下の台湾独立運動
1970年の台湾独立建国連盟設立後を境に前期・後期と分けられる。
[編集] 前期
初期の独立運動は、日本へ留学した留学生が活動の中心となった。これは日本統治時代の影響で日本語を習得していた人間が多く、台湾から日本の大学への留学が比較的容易だった事が背景にある。
中華民国国外における本格的な独立運動の先駆けとしては、廖文毅による日本での台湾共和国臨時政府樹立が挙げられる。しかしながら、臨時政府は財政問題や国民政府の圧力などによっていきづまり、廖文毅の「投降」後に瓦解した。
[編集] 後期
他にも、日本では許世楷や黄昭堂、金美齢および夫の周英明らが中心に活動し、台湾独立を主張した雑誌『台湾青年』をはじめとする諸著作の出版や中華民国政府による人権抑圧や、中華民国政府に好意的な日本政府に対する抗議デモ、また当時台湾で軟禁状態だった彭明敏亡命の支援など積極的に台湾独立運動が行われた。この時期に出版された諸著作は台湾独立運動の法学・歴史学上の基礎となっている。
こうした日本の活動参加者やアメリカへの留学生などにより、台湾独立建国連盟が設立された。その後、アメリカが台湾独立運動の中心となった。これは日本語を常用していた学生が年月の経過により減少したことや、中華民国政府の対米影響力が減少した事が背景にある。彭明敏や黄文雄など、日本語能力を持つ者も、アメリカに滞在している。
[編集] 民主化以後の台湾独立運動
民進党では、1999年に台湾前途決議文を採択し、党綱領にある台湾独立を棚上げした。これは、2000年総統選挙に向けて、党内最大派閥の新潮流と穏健派が妥協した結果であった。同選挙で勝利し、陳水扁政権が成立すると米国政府の意向を汲み、「4つのノー、1つのない」を唱えた。そのため、民進党と従来の台湾独立派との間には、亀裂が生じた。
李登輝前総統は、かつての中国国民党李登輝派である台湾本土派の一部に台湾団結連盟(台聯)を結党させた。自らはその精神的指導者となった。台聯は綱領において、台湾新憲法の制定と、国号を台湾にすることをうたっている。当初、台聯は民進党を支援する目的で結成された。しかし、中国国民党の台湾本土派を十分に取り込むことが出来ず、固定的な支持基盤を獲得できなかった。そこで、急進的な独立派路線により、民進党と独立派に近い(深緑)支持者の票を奪い合うことになった。そのため、民進党と台聯の間で、独立的な主張を競い合うという循環に陥り、中間票を取りこぼす結果も生まれている。
一方、本来の台湾独立派は、陳水扁政権において総統府国策顧問や資政(上級顧問)に就任するものも現れた。しかし、顧問職の物も含めて、陳政権とは一線を画している。むしろ、台湾正名運動を推進し、最終的には陳水扁政権が放棄した国号改称も行うよう、求めている。また、現行憲法を廃止し、台湾新憲法の制定も求めている。
その他、政治体制についても、五院体制から三権分立への変更を求める者もいる。対中国政策については、台聯や台湾独立派は、経済交流(貿易、投資、人的交流)規制の継続と強化を求めている。
[編集] 台湾独立運動を展開した代表的な人物
[編集] 香港を拠点として活動した人物
- 廖文奎(1905年-1952年):第二次世界大戦後の早期に台湾民族主義思想の理論を築き上げた運動家。1950年代に「台湾再解放連盟」が発表した『福爾摩沙發言(Formosa Speaks)』の著者。
- 廖文毅(1910年-1986年):第二次大戦後の最初期に活動した運動家。1948年に香港で「台湾再解放連盟」を成立させ、後に日本へ渡る。
- 謝雪紅(1901年-1970年):「台湾再解放連盟」の創始者の一員。二二八事件後に台湾から逃れてきた。
[編集] 日本を拠点として活動した人物
- 廖文毅(1910年-1986年):第二次世界大戦後の最初期に活動した運動家。1956年に東京で台湾共和国臨時政府を樹立させ、初代大統領に就任。後に台湾国民政府へ「投降」。
- 陳智雄(1916年-1963年):元台湾共和国臨時政府の東南アジア巡回大使。自己の政治信念を貫いたがために、1963年に台湾国民政府によって銃殺される。そこから、「少しも死を恐れない台湾独立の勇士(視死如歸的台獨勇士)」と称される。
- 辜寛敏:日本における台独運動の重要な指導者。『台湾春秋』、『黒白新聞週刊』などの雑誌を創設し、台湾青年会の委員長を歴任。現在は中華民国総統府で資政。
- 郭栄桔:日本における台独運動の指導者であり、事業に成功した企業家。世界台湾同郷会連合会の元首任会長。
- 侯栄邦:日本における台独運動の指導者。台湾独立建国連盟(台独連)日本本部中央委員を歴任。
- 黄文雄 (評論家):現任の台独連日本本部委員長。日本に滞在する有名な台湾人作家であり、中国史に関する著作などを日本語で40冊以上執筆。
- 黄昭堂(1932年-):現任の台独連総本部主席。昭和大学名誉教授。
- 羅福全(1935年-):現任の亜東関係協会会長。
- 金美齢(1934年-):日本における台独運動の指導者。中華民国総統府国策顧問、台独連総本部中央委員を歴任。他にも、JET日本語学校校長、「学校法人柴永国際学園理事長。
- 史明(1918年-):独立台湾会の創始人にして、『台湾人四百年史』の著者。台独運動左派の代表的な人物。
- 王育徳(1924年-1985年):台独連日本本部の前身である台湾青年社を組織し、『台湾青年』を刊行。
- 許世楷(1934年-):現任の台北駐日経済文化代表処代表にして、台湾建国党主席。台独連総本部主席を歴任。
- 林建良:Eメールマガジン『台湾の声』の編集長にして、日本における台湾正名運動の発起人。在日台湾同郷会会長を歴任。
[編集] 北アメリカを拠点として活動した人物
翻訳中
[編集] ヨーロッパを拠点として活動した人物
[編集] 台湾を拠点として活動した人物
- 謝雪紅(1901年-1970年):日本統治時代に台湾共産党(日本共産党台湾民族支部)を設立した人物の一人。二二八事件では「二七部隊」を指揮し、後に台湾国民政府の追及を受けて香港へと逃れる。
- 高俊明:元台湾キリスト長老教会総幹事。1970年代に3回の『国是声明』を出して、「台湾を新しく独立国家とする」ための有効な措置をとるよう台湾国民政府に求めた。
- 黄紀男:著名な台独政治犯。廖文毅の台独運動と関連して台湾国民政府に三度逮捕され、22年間にわたって投獄された。
- 黄華:中華民国總統府の現任1国策顧問。台湾本土で台独運動に参加し、政治的抑圧を受ける。
- 黄信介:前民主進歩党主席。美麗島事件で抑圧を受けるも、後に台北市議会議員、立法委員(日本の国会議員に相当)に当選。
- 辜寛敏:日本における台独運動の重要な指導者。『台湾春秋』、『黒白新聞週刊』などの雑誌を創設し、台湾青年会の委員長を歴任。現在は中華民国総統府で資政。
- 李鎮源:現任の台湾建国党首任主席。台湾大学医学院院長、中央研究院会員、国際毒素学会学長を歴任。
- 蘇東啟:元雲林県議員。1961年に起きた「蘇東啟台独事件」の主役。この事件で300人以上の被害者が発生した。
- 詹益樺: 1989年の鄭南榕の葬儀中に、中華民国総統府前で台湾国民政府当局の鄭南榕に対する迫害に抗議して焼身自殺を行なった。
- 鄭南榕:『自由時代週刊』の発行人。誌上に許世楷の『台灣共和國憲法草案』を掲載した事で、台湾国民政府から叛乱罪の容疑で起訴されたため、国民政府の言論の自由に対する弾圧に抗議して焼身自殺した。