後藤寿庵 (漫画家)
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後藤 寿庵(ごとう じゅあん、本名:後藤 謙治(ごとう けんじ)、1964年6月21日 - )は、日本の漫画家。
岩手県水沢市(現・奥州市)出身。『漫画ブリッコ』でデビュー。美少女の出てくるギャグマンガを描く。一方で『アリシア・Y』のような伝奇マンガを描く。ギャグマンガにおいては、度を超えてくだらないシュールギャグと、手抜きの描線を特徴とする。そのセンスには一部にファンがいる。近年はあまり商業誌に描いていないが、同人誌や美少女CGダウンロード販売などの活動を行っている。ペンネームの由来は故郷のキリシタン領主であった後藤寿庵。
目次 |
[編集] 経歴
学歴、所属クラブ等
- 水沢市立水沢南小学校、漫画クラブ。
- 水沢市立南中学校、科学部、ハムクラブ。
- 岩手県立水沢高等学校、漫画研究会。
- 東京電機大学、SF研究会、漫画研究会。
小学校から高校まで、吉田戦車と同じ学校で一年後輩であるが、面識はない。
中学三年生のとき、友人が書いた原作を基に、刑事ドラマ「大都会」のパロディ「地方都市」を描く。これは後の「刑事達の挽歌」の元になった作品である。 大学進学で上京、漫画評論誌「ぱふ」や「Comic Box」が営んでいた同人誌販売店に出入りし、同人誌「楽書館」(主催:水野流転)や「BOOM」(主催:赤司俊雄)に参加する。
- 1984年、大学SF研究会のつてで、日本SF大会「EZOCON 2」にスタッフ参加。会場で放送されたケーブルテレビのテロップを描く。また、アナウンサーとして館内放送を行い、ゲスト作家を呼び捨てにするという事故を起こす。
- 1985年、漫画ブリッコでデビュー。デビュー作は「宇宙刑事アホー」。この作品は、同誌が募集した「宇宙刑事漫画」というお題による読者投稿作品であり、当初1pに原稿2枚を掲載するという変則的な掲載形態であった(当時後藤寿庵のペンネームはまだ使用しておらず、誌上では「杉並の後藤」と呼ばれている)。なお、厳密には、最初に掲載された商業誌の作品は漫画評論誌「ぱふ」掲載の「まるぱの洋子ちゃん」である。この作品は、ペン習字の広告で有名な「日ペンの美子ちゃん」のパロディで、当時ぱふ編集部員であった南田洋(藤島康介)が執筆していた四コマ漫画であるが、読者企画としてこのネタをふくらまそうというぱふ編集部の依頼で、当時出入りしていた後藤寿庵がサクラとして一度だけ描いたという事実がある。
[編集] 単行本リスト
- ヤニー外伝 (1988年 大陸書房)
- マイルド寿庵 (1988年 笠倉出版社)
- 刑事達の挽歌 天の巻・地の巻 (1991年 久保書店)
- そんな御無題な (1992年 久保書店)
- アリシア・Y (1994年 茜新社)
- シャーリィ・ホームズ (1994年 富士美出版)
[編集] 著名なWeb発表作品
インターネット上で公開された著名な作品(2001年頃)などがある。海外向けに無修正バージョンが作成されたが、日本向けにはモザイクがかけられていた。なお、「寿庵」をローマ字で書くと「Juan」となるため、一部ではスペイン人の漫画家と勘違いされていた。
- 家庭教師(Private Teacher)
- シスターラブ(Sister Love)
- 卒業斬首式(Graduation and Beheading Ceremony)