御柱祭
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御柱(おんばしら、みはしら)または御柱祭(─さい)は、諏訪大社最大の行事である。 正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行なわれる式年祭である。また、長野県指定無形民俗文化財である。
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[編集] 歴史
起源は、平安時代以前とされる。諏訪大社は、五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されており、それらを祈願するものであったと推測される。江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曳き建てが行われている。
[編集] 概要
樅(もみ)の大木(これを御柱と呼ぶ)を山中から16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し、社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。立てる直前に柱の頭を三角錐に削り、これを「冠おとし」という。この御柱祭りは七年目ごとに行われ、柱を更新する。日本三大奇祭のひとつとされる。氏子は、木遣りや喇叭に合わせて曳行する。
建御柱の後、宝殿の造営がされるが、こちらはあまり取り上げられることもなく、また、氏子に至ってもこの行事が行われていることを知らない者が多い。
直近に開催されたのは2004年、次回開催は2010年である。2004年は、主なイベントとなる「山出し」「里曳き」が以下の日程で行われた。
- 4月2日~4日:上社山出し
- 4月9日~11日:下社山出し
- 5月2日~4日:上社里曳き
- 5月8日~10日:下社里曳き
里曳きでは、御柱の曳行とともに、騎馬行列や長持ちなど華やかな出し物が催され多くの観客を集める。また、下社山出しにおける木落としは有名で、負傷者が出ることも珍しくない。
大社での開催年を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭りが実施される。その中で代表的なものが、塩尻市の辰野町境界付近にある小野神社(信濃国二之宮)の御柱祭で、諏訪大社の御柱祭の翌年、卯・酉年に行われる。諏訪大社の勇壮さに比べ、小野神社の御柱祭はきらびやかな衣装が特徴であり、「人を見たけりゃ諏訪御柱、綺羅を見たけりゃ小野御柱」などと昔から言い伝えられているものである。
山出し、里引きの日には地元ケーブルテレビ局LCVよりストリーミング放送による生中継が実施される。
[編集] 担当地区
- 諏訪大社上社
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- 上社の担当地区割は明治時代に諏訪郡の村別に8地区の枠組みが決められた。担当の御柱は祭り2ヶ月前に、上社本宮での抽籤式に於いてくじ引きで決定される。担当地区は伐採から曳行、建て御柱まで担当の御柱のみを行う。
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- ここでは平成16年の担当地区を記載する
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- 本宮一之御柱 茅野市玉川・豊平(豊平には中大塩を含む)
- 本宮二之御柱 諏訪市中洲・湖南
- 本宮三之御柱 原村・茅野市泉野
- 本宮四之御柱 茅野市ちの・宮川
- 前宮一之御柱 茅野市北山・米沢・湖東
- 前宮二之御柱 富士見町富士見・茅野市金沢
- 前宮三之御柱 富士見町本郷・落合・境
- 前宮四之御柱 諏訪市四賀・豊田
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- 諏訪大社下社
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- 下社の担当地区は慣例により取り決められており、抽選はしない。また、山出し、里曳きで担当の柱や地区も変わる。
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- ここでは山出しの担当地区を記載する。
- 秋宮一之御柱 下諏訪町(1・2・3・7・9区)
- 秋宮二之御柱 諏訪市(上社の担当地区を除く全地区)
- 秋宮三之御柱 下諏訪町(4・5・6・8・10区)
- 秋宮四之御柱 岡谷市旧市内(岡谷・新屋敷・小尾口)
- 春宮一之御柱 岡谷市旧市内(小井川・小口・今井・西堀・間下・上浜・下浜)
- 春宮二之御柱 岡谷市長地
- 春宮三之御柱 岡谷市川岸
- 春宮四之御柱 岡谷市湊
- ここでは山出しの担当地区を記載する。
[編集] 上社の御柱祭
上社の全ての御柱にはメドてこ(しばしばメドとも)と呼ばれる角(つの)のような柱がV字型になるよう柱の前後についているが、これは上社の男の神を表すシンボルとされている。このメドに氏子がしがみつき、左右にゆらしながら、おんべを振る姿は圧巻である。
御柱は、当年に伐採され、昔からの慣例のある諏訪市中洲・湖南地区の柱を除き、樹皮がはがされる。 綱打ち、メドてこを揺らす練習等、事前に御柱を美しく曳行する準備が行われる。
[編集] 山出し
山出しでは、茅野市、原村境の綱置場から茅野市安国寺の御柱屋敷までの御柱街道と呼ばれる約12kmを、本宮一之御柱、前宮一之御柱から、前宮四之御柱の順に曳行する。
[編集] 穴山の大曲
茅野市の穴山地区に差し掛かると、穴山郵便局付近で穴山の大曲と呼ばれる鋭角な左90度曲がり角の難所がある。カーブのため綱を引く力が柱には伝わりにくくなるので全てがうまく協調しないとうまく曲がる事が出来ない。この辺りは道幅が狭く民家の間を通らなくてはならない為、メドてこが民家等を損傷することもある。そのようなことが起こらない為に、御柱の方向転換等をつかさどるてこ衆と呼ばれる人々は細心の注意を払って御柱の曳行を管理する。
[編集] 木落し
氏子をメドてこに乗せたまま、御柱を傾斜約30度の木落し坂から落とす。下社と上社とでは趣が異なり、下社木落しが勇壮盛大であるのに対して、上社木落しはメドてこがいかにV字のまま落ちるかという「美しさ」が重視されているようである。観衆によって会場は人で埋め尽くされる。 その後、JR東日本中央本線の線路の桁下を通す為に一時的にメドてこが抜かれ、国道20号線の交通を遮断して横断する。昔は中央本線の電車を止めて、線路上を横断していた。当日現場を通行する電車は線路内に人が立ち入る危険があるため徐行する。
[編集] 川越し
上社山出しのラストイベントである。茅野市中河原と安国寺の境にある、幅約40mの宮川を越える。4月頭の水温は雪解け水のため限りなく低い、その中、御柱を曳く綱を渡し、川を越える。2004年、前宮四之御柱の川越しは、日没後、雪が降る厳しい状況で行われた。川越しを終えるとすぐに御柱屋敷であり、里曳きまでの1ヶ月間安置される。上記の木落しと川越しは場所が広く、見せ場でもあるために曳行用の片側7~8人乗りのメドてこではなく10~12人ほど乗れる大きなメドてこに付け替える地区も多い。しかしその巨大さ故に衝撃で折れるなどの事故もしばしば発生する。
[編集] 里曳き
里曳きでは、御柱屋敷から御柱を曳行する。前宮は御柱屋敷から1km弱、本宮は同2.5kmの道程である。本宮一、本宮二の順で本宮の御柱を曳き出し、次いで前宮一から前宮の御柱を曳き出す。距離が短いのでゆっくりと曳行される。花笠踊りや長持ち、上社お膝元の地元神宮寺区民による騎馬行列が祭りに華を添える。
[編集] 建御柱
祭りのフィナーレといえる。各宮の四方に柱を立てる。この際、御柱の頭を三角錐に切り落とす冠落しが施される。
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