怪力線
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怪力線(かいりきせん)、乃至、怪力光線(かいりきこうせん)は、戦前戦後のSF作品にしばしば登場する光学攻撃兵器の新兵器である。
今で言う光学兵器(殺人光線)や電光線、マイクロウェーブによる超音波兵器などが空想された。
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[編集] 登戸研究所
1939年1月、「謀略の岩畔」との異名をとった陸軍省軍事課長・岩畔豪雄大佐が、陸軍の兵器行政の大改革を行い、兵器の行政本部、科学研究所をまとめて兵器行政本部を設け、その下に10の技術研究所を設立。その第9研究所が現在の神奈川県川崎市多摩区生田に置いた通称「登戸研究所」である。前身は1919年4月に陸軍火薬研究所を改編させて発足した「陸軍科学研究所」のため、正式名称は「陸軍科学研究所登戸出張所」といった。所長には篠田鐐大佐が就き1939年9月正式に発足した。ここで多くの研究開発が行われ、その一つが紫外線機で照射し空気の電離で雷を誘導するという実験だったが、発電所1基分の電力が必要で戦場における電力源の不足や携帯性がないなどの理由で計画が中止された。レーザーについても研究された。太陽の光をレンズに通して光を集中させて紙を焼くように、照明灯を数個使いレンズで光を一点に集中させて物体を燃焼させるという考えもあり、小型の装置は動物を焼き殺す実験に成功したとされる。後に光学攻撃兵器は、特攻兵器の制作、戦局の悪化などで全て開発にはいたらなかった。敗戦間際、アメリカ軍の接収を避けるためそれらの資料は殆どが処分されたので詳細は不明である。なお登戸研究所のあった場所は現在の明治大学生田キャンパスだが、動物慰霊碑など当時の施設がまだ幾つか現存している。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 陸軍登戸研究所の真実、伴繁雄、芙蓉書房、2001年1月