川崎市
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川崎市(かわさきし)は、神奈川県の北東端に位置する政令指定都市である。東京特別区(東京23区)全体及び政令指定都市17市の中で面積は最も小さいが、人口は全国第9位である。
目次 |
[編集] 地理
神奈川県の北東部に位置している。市の北端には多摩川が流れ東京都との境となっており、東部には東京湾が広がっている。北西部は多摩丘陵と呼ばれる丘を形成、商業地、及び古くからの閑静な住宅地が密集し、東京都心から伸びる私鉄各線を利用して都内に通勤・通学する家庭が多数居住する地域として歴史を有している。また大学等の高等教育機関も多数あり、文京都市としての側面も見られる。東部及び多摩川沿いの低地は住宅地のほか工業地が特に多く、東京湾岸に広がる埋立地は大規模な重工業地帯となっている。
[編集] 河川
[編集] 運河
- 多摩運河
- 末広運河
- 千鳥運河
- 夜光運河
- 大師運河
- 塩浜運河
- 水江運河
- 入江崎運河
- 浅野運河
- 池上運河
- 南渡田運河
- 田辺運河
- 白石運河
- 境運河
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
[編集] 中世以前
北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは日本の旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。
7世紀に律令体制の整備により武蔵国の一部となり、奈良時代には現在の高津区に橘樹郡衙(たちばなぐんか)が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。
[編集] 近世
1611年(慶長16年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。また江戸幕府が成立したことで東海道や中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる1623年(元和9年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道の丸子の渡し、大山街道の二子の渡し、津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京都内への鉄道が建設される宿場町が形成された。
[編集] 近代
明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。
- 1872年(明治5年) - 日本最初の鉄道開業(現東海道線)に伴い川崎駅が設置される。その後、郵便・電気などの公共サービスが整備される。
- 1883年(明治16年) - 多摩川に六郷橋がかかる。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により、後の市域を形成する橘樹郡川崎町、及び12ヶ村(うち2村は都筑郡)が成立。
- 1893年(明治26年) - 大師河原村(現川崎区)の当麻辰二郎が梨の新種「長十郎」を発見(ただし発見年には諸説あり)。
- 1899年(明治31年) - 大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が大師線の一部を開業する。以後、品川や横浜に向けて路線を延長していく。
- 1912年(明治45年) - 神奈川県と東京府(現東京都)との境界が多摩川を境に整理される。
- 1912年(明治45年) - 日本鋼管(後にNKK、現在はJFEスチール)川崎製鉄所が設立。臨海部の工業化が開始される。
- 1914年(大正3年) - 川崎~溝口(当時は高津村)間での乗合馬車運行が始まる。
- 1921年(大正10年) - 川崎町で上水道整備が始まる。
- 1924年(大正13年)7月1日 - 1町2村が合併して市制施行。市域は現在の川崎区西部と幸区東部。人口4万8394人。
- 1926年(大正15年)2月14日 - 東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が小杉町内で開業。
- 1927年(昭和2年)3月9日 - 南武鉄道(現在のJR南武線)川崎駅 - 登戸駅が開業。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田急小田原線が全線開通、向ヶ丘遊園がオープン。
- 1927年(昭和2年)7月15日 - 玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)開業。
- 1930年(昭和5年) - 富士瓦斯紡績(現在の富士紡績)川崎工場での労働争議で煙突男が出現。
- 1937年(昭和12年) - 陸軍の研究所が現多摩区の生田村(1938年に川崎市へ編入)へ移転。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 埋立地を除き現在の市域が確定。
- 1944年(昭和19年)10月14日 - 川崎市電が開業。
- 1945年(昭和20年)4月15日 - 川崎大空襲。川崎駅周辺や臨海部の工業地帯、川崎大師などに大きな被害が出る。
[編集] 現代
- 1946年(昭和21年) - 初の民選市長として金刺不二太郎が当選。
- 1947年(昭和22年) - 戦後第1回市議会招集。
- 1948年(昭和23年) - 現多摩区に日本女子大付属中学・高校が開設(現在の日本女子大西生田キャンパス)。
- 1951年(昭和26年) - 現多摩区に明治大学生田校舎が開設。
- 1952年(昭和27年) - 現川崎区の富士見公園内に川崎球場(当時は川崎スタヂアム)が開場。
- 1952年(昭和27年) - 向ヶ丘遊園が遊具施設を充実し有料化。
- 1957年(昭和32年) - 現多摩区に専修大学生田校舎開設。
- 1957年(昭和32年) - 人口が50万人を突破。この頃から市北西部が首都圏住民の良好な住宅地として人気を博すようになり、政令市をなすまでに人口が急増する主因となった。このため、首都圏へ向かう通勤・通学電車のラッシュは、全国有数の混雑となる。
- 1960年(昭和35年) - プロ野球・大洋ホエールズが日本シリーズで優勝し、市内でパレードを行う。
- 1964年(昭和39年) - よみうりランドが開業する。西生田駅が読売ランド前駅に、東生田駅が生田駅に改称。
- 1966年(昭和41年) - 東急田園都市線溝の口駅 - 長津田駅が開業。
- 1967年(昭和42年) - 現多摩区に日本民家園が開園。公営施設としては北部地域初の大規模文化施設。
- 1967年(昭和42年) - 現麻生区東百合丘に調布学園女子短期大学が開設。
- 1968年(昭和43年)4月25日 - 東名高速道路が開通し、東名川崎IC(現宮前区)開設。
- 1968年(昭和43年) - 川崎市営鷺沼プールがオープン。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 川崎市電が全廃。
- 1971年(昭和46年) - 第2代の民選市長に伊藤三郎が当選し、革新自治体の一員となる。
- 1971年(昭和46年) - かわさきおやこ劇場設立
- 1971年(昭和46年) - 生田緑地に川崎市青少年科学館開設。
- 1971年(昭和46年) - 現宮前区菅生に聖マリアンナ医科大学開設。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 政令指定都市になり、5区制になる(川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区)。川崎市公害防止条例を施行する。
- 1974年(昭和49年)6月1日 - 小田急多摩線が開通、新百合ヶ丘駅が開業する。
- 1974年(昭和49年) - 人口が100万人を突破。
- 1978年(昭和53年) - 大洋ホエールズの横浜移転により、ロッテオリオンズが川崎球場をフランチャイズとする。第1回かわさき市民祭りを開催。
- 1979年(昭和54年) - 政令指定都市移行を記念して高津区に川崎市民プラザ開設。
- 1980年(昭和55年) - 国鉄横須賀線の新川崎駅が開業、川崎駅を経由しなくなる。自動車の川崎ナンバーが誕生。
- 1982年(昭和57年) - 分区により7区制になる(高津区から宮前区、多摩区から麻生区が分離)。
- 1982年(昭和57年) - 第1次川崎公害訴訟が提訴され、大気汚染について国や首都高速道路公団、各企業の責任が追及される。
- 1984年(昭和59年) - 「川崎市民の歌」を制作・発表。
- 1985年(昭和60年) - 川崎市男女共同社会をめざす計画を発表。
- 1986年(昭和61年) - 川崎駅東口に地下街川崎アゼリアが開業。
- 1986年(昭和61年) - 新百合ヶ丘駅前に日本映画学校が開校。
- 1987年(昭和62年) - チネチッタが日本初のシネマコンプレックスとして開業。
- 1988年(昭和63年) - 川崎駅西口の再開発を巡ってリクルート事件が発覚。当時の川崎市助役へのリクルート社からのリクルートコスモス株譲渡による利益供与が明るみになり、やがて中央政界に影響が波及する。川崎市市民ミュージアム・ふれあい館・産業振興会館を開館。
- 1990年(平成2年) - 市民オンブズマン制度が発足。
- 1991年(平成3年) - ロッテオリオンズが千葉に移転し、川崎球場を本拠とするプロ野球チームが消滅する。毎月1日を「ノーカーデー」と定める。
- 1992年(平成4年) - 新百合ヶ丘駅南口にエルミロードがオープンする。テナントのイトーヨーカドー新百合ヶ丘店は全国売り上げナンバーワンを記録。
- 1993年(平成5年) - Jリーグが開幕し、読売サッカークラブとして創立されたヴェルディ川崎が等々力陸上競技場を本拠地にする。
- 1993年(平成5年) - 後期優勝したヴェルディ川崎が鹿島を下し、Jリーグ初代年間王者となる。
- 1994年(平成6年) - ヴェルディ川崎が再びJリーグ年間王者となり、V2を達成する。
- 1994年(平成6年) - 市のシンボルマークが決まる。
- 1995年(平成7年) - とどろきアリーナがオープン。ポイ捨て禁止条例がスタート。
- 1995年(平成7年) - ヴェルディ川崎が後期優勝するものの、年間王者は横浜マリノスに奪われる。
- 1996年(平成8年) - 市職員採用試験の国籍条項を撤廃。かわさき市民放送開局。外国人市民代表者会議を設置。
- 1997年(平成9年) - 富士通川崎サッカー部がプロ化し「川崎フロンターレ」誕生。東京湾アクアラインが開通。
- 1999年(平成11年) - 川崎公害訴訟が和解により決着する。岡本太郎美術館がオープン。
- 2000年(平成12年) - 慶應義塾大学が新鶴見操車場跡地に新川崎タウンキャンパスを開設。
- 2001年(平成13年) - ヴェルディ川崎の東京移転と川崎フロンターレの J2降格により J1チームが川崎から消滅。川崎市子どもの権利に関する条例を施行。
- 2002年(平成14年) - 川崎市行財政改革プランを発表。
- 2002年(平成14年) - シネマコンプレックスのチネチッタがラ チッタデッラとしてリニューアル。この頃から川崎駅周辺再開発が加速。
- 2003年(平成15年) - 子ども夢パークがオープン。
- 2003年(平成15年) - 川崎DICEが開業。
- 2004年(平成16年) - 川崎駅西口にミューザ川崎シンフォニーホールが開設される。
- 2004年(平成16年) - 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度制定
- 2005年(平成17年) - 川崎フロンターレがJ1に復帰。
- 2005年(平成17年) - ヨドバシカメラマルチメディア京急川崎が西武百貨店跡に移転。マルチメディア川崎ルフロンとなる。旧店舗はアウトレットストア京急川崎に移行。
- 2006年(平成18年) - 川崎駅西口にラゾーナ川崎プラザが開業。大手家電量販店3店舗(ヨドバシカメラ(川崎ルフロン)、さくらや(川崎DICE)、ビックカメラ(ラゾーナ川崎))が川崎駅前に揃う。
[編集] 人口
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川崎市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 川崎市の年齢・男女別人口分布図 |
■暗紫色は川崎市 ■緑色は全国 |
■青色は男性 ■赤色は女性 |
総務省統計局 平成17年国勢調査より |
[編集] 行政
- 市長 : 阿部孝夫(あべ・たかお) (2005年10月23日再選)
- 市職員数 : 15,280人 (2003年7月1日)
- 当初予算規模(2004年度)
- 一般会計 5,209.58億円
- 特別会計 4,800.06億円
- 公営企業会計 2,008.22億円
- 市議会議長 : 矢沢博孝(やざわ・ひろたか)(2005年6月6日選出)
- 市議会議員数 : 63(任期満了日 2007年5月2日)
- 市制記念日 : 7月1日
[編集] 行政区域の変遷
- 1924年7月1日 : 橘樹郡川崎町、御幸村、大師町が合併して市制施行。
- 1927年4月1日 : 橘樹郡田島町を編入。
- 1933年8月1日 : 橘樹郡中原町を編入。
- 1937年4月1日 : 橘樹郡高津町及び日吉村の一部を編入。日吉村の一部は横浜市に編入。
- 1937年6月1日 : 橘樹郡橘村を編入。
- 1938年10月1日 : 橘樹郡稲田町、向丘村、宮前村及び生田村を編入。橘樹郡が消滅。
- 1939年4月1日 : 都筑郡柿生村及び岡上村を編入。埋立地以外で現在の市境が確定。
この他、明治以降の埋め立ての進行で市域は海に向かって拡大している。
[編集] 歴代首長
- 地方自治制度が確立して市長公選制が導入された1946年以降の市長は以下の4人である。
- 1946年 - 1971年 - 金刺不二太郎
- 1971年 - 1989年 - 伊藤三郎
- 1989年 - 2001年 - 高橋清
- 2001年 - - 阿部孝夫
[編集] 立法
[編集] 市議会
[編集] 会派の構成
会派名 | 議席数 | 代表者 |
自由民主党 | 19 | 鏑木茂哉 |
民主・市民連合 | 18 | 玉井信重 |
公明党 | 14 | 平子瀧夫 |
日本共産党 | 8 | 竹間幸一 |
神奈川ネットワーク運動 | 3 | 佐藤喜美子 |
無所属 | 1 |
[編集] 国会議員
選挙区 | 議員名 | 所属政党 |
---|---|---|
神奈川9区(多摩区・麻生区) | 山内康一 | 自由民主党(無派閥) |
(比例) | 笠浩史 | 民主党(無派閥) |
神奈川10区(川崎区・幸区・中原区) | 田中和徳 | 自由民主党(山崎派) |
神奈川18区(宮前区・高津区) | 山際大志郎 | 自由民主党(山崎派) |
[編集] 経済
[編集] 第一次産業
江戸時代初期の二ヶ領用水の整備で、多摩川流域での水田開発が拡大し、農業生産力が向上した。また江戸時代以降、大消費地江戸に近い立地を利用して果樹栽培が営まれ、宿河原の桃や王禅寺の柿が知られた。中でも梨は明治20年代に新品種として長十郎が発見され、その栽培は全国に普及していった。しかし、その発見地である臨海部での果樹栽培は大正以降の工業開発によって失われた。内陸部でも、戦後は都市化の進行により急速に農地が減少した。現在は市の施策などで伝統的な名産品の復興などに力が注がれている。
[編集] 第二次産業
京浜工業地帯の中にあり、明治時代の産業革命以降は重工業が発展した。特に昭和前期に臨海部での大規模な埋め立てが行われ、製鉄所や化学工場、機械・電機工業などの建設が進んだ。日本鋼管(現JFEスチール)、富士通、日本電気、東芝などの大規模工場と、それに関連する中小工場が多数建設され、現在に至っている。
近年では、先端技術の研究所なども多く立地する。かわさきマイコンシティ、かながわサイエンスパークの建設などもこれを促進している。一方臨海部の工業地帯では重化学工業不振からの再生が企画される一方、産業遺産としての保護も進められている。また、市では羽田空港の神奈川口整備を見越して、臨空型の工業整備を意図している。
[編集] 第三次産業
川崎駅東口には地下街「アゼリア」、西口には「ラゾーナ川崎」が立地し、川崎駅周辺商業地の中核となっている。その他、特殊な例として近世からの歴史を持つ歓楽街がある。また、溝の口駅には、「丸井」、新百合ヶ丘駅には、「サティビブレ」、「エルミロード」、「オーパ」などの商業施設が建設されている。住宅地が多いため、中小規模の商店街やスーパーマーケットなどは市内全域で見られる。
近年は芸術関係での産業振興に力を入れており、川崎駅周辺でのチネチッタプロジェクトやミューザ川崎の建設、麻生区新百合ヶ丘への日本映画学校、昭和音楽大学の誘致やKAWASAKIしんゆり映画祭の開催などが進められている。
[編集] 市内の主な企業
- 本社・本店が所在する企業
- 富士通(本店・川崎工場)
- 富士通ゼネラル
- PFU(東京本社)
- デル(日本法人)
- 日本トイザらス(日本法人)
- 三菱ふそうトラック・バス
- ジェイコムせたまち
- ソフィアシステムズ
- ハートランド(むつみ屋)
- ユニバーサル造船
- 東亜石油(本社、京浜製油所、水江工場、扇町工場)
- 和幸商事
- 生産等の拠点がある企業
- 日立製作所
- 東芝
- 日本電気
- 味の素(本社工場)
- 日本テレビ(生田スタジオ)
- キヤノン
- コロムビアデジタルメディア(旧日本コロムビア)
- 新日本石油(旧三菱石油)
- JFEスチール(旧日本鋼管:通称NKK)
- 東燃ゼネラル石油(旧東燃)
- 花王
- サントリー
- 三菱ふそうトラック・バス
- パイオニア
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 姉妹都市
リエカ市(クロアチア)- 1977年6月23日締結
ボルチモア市(アメリカ合衆国)- 1979年6月14日締結
瀋陽市(中華人民共和国)- 1981年8月18日締結
ウーロンゴン市(オーストラリア)- 1988年5月18日締結
シェフィールド市(イギリス)- 1990年7月30日締結
ザルツブルク市(オーストリア)- 1992年4月17日締結
リューベック市(ドイツ)- 1992年5月12日締結
富川市(大韓民国)- 1996年10月21日締結
[編集] 友好港
[編集] 地域
- 世帯数 : 587,929世帯(2005年1月1日)
- 外国人登録者数 : 27,329人(2004年6月30日)
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神奈川県川崎市の各区 |
川崎市は現在7区で構成される。川崎市の行政区名は他の政令指定都市行政区や東京特別区では1つも用いられていない(なお、最も多く使われている行政区名は西区である)。
- 川崎区 - 区役所の最寄り駅は川崎駅。
- 幸区 - 区役所の最寄り駅は矢向駅(徒歩15~20分)。川崎駅や武蔵小杉駅などからバス利用が便利。
- 中原区 - 区役所の最寄り駅は武蔵小杉駅。
- 高津区 - 区役所の最寄り駅は溝の口駅(武蔵溝ノ口駅)。
- 多摩区 - 区役所の最寄り駅は向ヶ丘遊園駅。
- 宮前区 - 区役所の最寄り駅は宮前平駅。
- 麻生区 - 区役所の最寄り駅は新百合ヶ丘駅。
[編集] 主な街・ターミナル
- 川崎駅(川崎BE、川崎アゼリア、さいか屋、丸井、ヨドバシカメラ、川崎ルフロン、岡田屋モアーズ、川崎DICE、ラ チッタデッラ、ミューザ川崎、LAZONA川崎)
- 武蔵小杉駅(イトーヨーカドー、マルエツ)
- 武蔵溝ノ口駅・溝の口駅(丸井、 NOCTY、長崎屋、イトーヨーカドー、マルエツ)
- 鷺沼駅(とうきゅう)
- 向ヶ丘遊園駅(ダイエー、ライフコーポレーション)
- 新百合ヶ丘駅(エルミロード(イトーヨーカドーなど)、サティ、ビブレ、OPA)
[編集] 教育
[編集] 学校教育
[編集] 大学
[編集] 短期大学
- 川崎市立看護短期大学
- 洗足学園短期大学
- 田園調布学園大学短期大学部
- 日本電気工業技術短期大学校
[編集] 高等学校
各区の記事を参照のこと。
[編集] 外国人学校
[編集] 社会教育
[編集] 図書館
- 川崎市立図書館
- 川崎図書館 - 最寄り駅は川崎駅。
- 田島分館 - 川崎駅などからバス利用。
- 大師分館 - 最寄り駅は川崎大師駅。
- 幸図書館 - 最寄り駅は矢向駅(徒歩15~20分)。川崎駅や武蔵小杉駅などからバス利用が便利。
- 日吉分館 - 最寄り駅は新川崎駅。
- 中原図書館 - 最寄り駅は武蔵小杉駅。
- 高津図書館 - 最寄り駅は高津駅。
- 橘分館 - 武蔵新城駅や溝の口駅(武蔵溝ノ口駅)などからバス利用。
- 宮前図書館 - 最寄り駅は宮前平駅。
- 多摩図書館 - 最寄り駅は向ヶ丘遊園駅。
- 菅閲覧所 - 最寄り駅は稲田堤駅。
- 麻生図書館 - 最寄り駅は新百合ヶ丘駅。
- 柿生分館 - 最寄り駅は柿生駅。
- 川崎図書館 - 最寄り駅は川崎駅。
- 神奈川県立図書館
- 川崎図書館 - 「科学と産業の情報ライブラリー」。最寄り駅は川崎駅。
[編集] スポーツ
[編集] 主な施設
[編集] 野球場
- 川崎球場 - 川崎区富士見公園内。1952年に開場し、1954年-1991年はプロ野球球団の本拠地として使用(下記)。2001年に既設スタンドを取り壊し、現在は野球のほかアメリカンフットボールや各種イベントに使用。
- 川崎市等々力球場 - 中原区等々力緑地内。収容人員5000人。照明設備もあり、高校野球の地方予選やアメリカンフットボールの公式戦などが開催される。
[編集] 陸上競技場・サッカー場
- 等々力陸上競技場 - 中原区等々力緑地内。収容人員2万5000人。1964年に開場し、1993年からは数度の改修を経ながらJリーグクラブの本拠地として使用(下記)。日本陸連の2種公認競技場としても各種競技会で使用。
[編集] ゴルフ場
- 川崎国際生田緑地ゴルフ場 - 多摩区の丘陵地帯。1952年に川崎国際カントリークラブとして開設、1992年に川崎市公園緑地協会の管理に移りパブリックコースに。
[編集] 屋内施設
- 川崎市体育館 - 川崎区の市街地内。1956年開設。プロレスの興行(試合)等が開催される。川崎駅東口から徒歩20分ほど。
- 川崎市とどろきアリーナ - 中原区等々力緑地内。バレーボールの国際試合を含む各種屋内競技やコンサート等が開催される。
[編集] その他
[編集] スポーツ団体・クラブ
[編集] プロ野球
川崎市を本拠地とするプロスポーツチームは、1952年に川崎球場が開設された当初は毎日オリオンズが準本拠として公式戦を使用していたが、公式な第1号は1954年結成の高橋ユニオンズであった。これは1953年当時パ・リーグが7チームで1チームは試合日程上休まざるをえない日程を解消することから勝率.350以下のチームは強制廃部させる罰則を決めたがそれを下回ったチームがなかったため、8チーム目の加入チームとして戦前もイーグルス軍の経営に参加した酒造メーカーオーナー・高橋龍太郎のポケットマネーにより、当球場をホームスタジアムとしてリーグ戦に参入したものであった。しかし、明くる1955年に大洋松竹(洋松)ロビンスが松竹の資本関係を解消した上で本拠地を移転し、下関市を本拠地とした時代に使用した大洋ホエールズに戻して参加すると、セ・リーグ、とりわけスター選手の宝庫といわれた巨人軍との対戦を中心に観客動員が上昇。高橋球団は経営的な危機に立たされ、選手面でもパ・リーグ各チームの戦力外選手を中心とした編成も災ったのか一度も上位に食い込めず、1957年のシーズン開幕前に大映スターズとの電撃的な吸収合体が発表され、川崎市を本拠とする第1号のプロスポーツチームは3年で消滅することになる。
一方大洋は人気の面では観客動員が飛躍的な伸びを見せるが、戦力は今ひとつで常に最下位争いが指定席だった。しかし、1960年に三原脩が西鉄から監督として招聘されると、投手では秋山登、島田源太郎、打者では近藤和彦、近藤昭仁らが活躍し巨人の5連覇を阻止して見事リーグ初優勝。日本シリーズでも全試合とも1点差という僅差で4連勝して日本一を決めた。その後は1964年に阪神との大接戦を演じ惜しくも優勝を逃したが、その後は再び最下位争いに定着してしまった。しかしながら、ライバル・巨人、特に世界のホームラン王・王貞治が一本足打法第1号(1962年)、日本プロ野球初の700号(1976年)など多くのホームランを打ち込んだのも一つの人気であった。
だが、1978年のシーズン開幕時に横浜市に新設(厳密には横浜公園野球場の全面改修)される横浜スタジアムへの本拠地移転を示唆。川崎市民は本拠地の移転に反対したが、横浜移転は強行された。その後当時東京都近郊にメインスタジアムがなく、事実上仙台市を本拠としていたロッテ(その当時も川崎で準本拠地的に数試合開催された)にアプローチをかけ、1978年から本拠地として使用することになった。川崎時代のロッテは観客動員に苦しむが、1980年の張本勲3000安打、1984・85年の落合博満の3冠、また1988年の近鉄のリーグ優勝をかけた10・19決戦など、注目の好カードが展開された。しかし、そのロッテも福岡市や千葉市など各地からの移転のラブコールもあったため決して満足なホームタウンとはいいにくい面もあった。そのロッテもついに1992年のシーズンから千葉市にある市営の新球場千葉マリンスタジアムに移転。これが川崎市を本拠とする最後のプロ野球チームとなった(公式戦は1992年に千葉ロッテ vs 近鉄戦が開かれ、これが最後となった。本来は1993年に15年ぶりのセ・リーグ公式戦として組まれた横浜 vs 阪神戦が予定されたが雨天中止となり、予備日も設定されなかった)。
また川崎球場自体も阪神・淡路大震災を契機に開かれた耐震調査で震度5以上の大地震でスタンドが倒壊する恐れがあるということからスタンドの取り壊しが決定。2000年3月、横浜vs千葉ロッテのオープン戦を最後にプロ野球の開催球場から身を引くこととなる。現在、川崎市には等々力球場もあるが、設備の都合上1軍の試合は開催できず、プロ野球公式戦の開催予定は立っていない。
[編集] Jリーグ
Jリーグ発足以前、川崎市には、東京都稲城市と多摩区にホームタウンを有する旧JSL1部に読売FC、東芝堀川町サッカー部(東芝)、日本鋼管サッカー部(NKK)、同2部には富士通サッカー部がそれぞれ川崎市で多くの公式戦を開いていた。Jリーグ開幕に当たって、東芝、NKK、富士通ともプロサッカーチームを川崎市で結成することに難色を示し、読売FCが川崎市を本拠地とするプロサッカーチームとなった。
読売は当初東京都を本拠としたい意向だったが、都内にJリーグの開催規格のスタジアムが国立霞ヶ丘陸上競技場(国立)や駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(駒沢)しかなく、しかも国立ゆえ特定チームの本拠地とすることは不適切であるため各チームが試合を開催できる中立的なスタジアムにすること、駒沢はすぐそばに国立病院機構東京医療センターが位置することから照明による光害により設置できずナイトゲーム開催が不可能であり、また騒音やアクセスも問題となるため、公式戦の多くを開いた等々力をホームとして活動することにした。
三浦知良、ラモス瑠偉、北澤豪など、当時の人気選手を多く抱えていたヴェルディ川崎は、Jリーグ初代年間王者に輝き、翌年度も年間王者を達成し、人気だけでなく実力も兼ね備えたチームであった。しかし、当時の川崎市は、等々力の改修に殆ど手を付けず、マダラ模様で痛んだピッチの芝生の上(砂の部分)に塗料を塗るなど対応であったため、当時の人気チームらしからぬスタジアムとしてファンからの悪評を買うことになってしまった。その後、2年をかけて25000人収容のスタンドやピッチの拡張など、Jリーグ基準に適合したスタジアムへのリニューアルを実施したが、一方で、「川崎には代わりのチームがある」と発言したりもしていた。
この頃、NKKサッカー部は企業合理化のため1993年の旧JFLを最後に廃部が発表。東芝は川崎市でプロ化するとヴェルディのような人気が見込めず、またチームを維持することも難しくなっていたこと、札幌市でプロサッカーチームの誘致が活発化したことにより意見が一致し、1996年にコンサドーレ札幌として移転した。富士通サッカー部は当初はプロ化には参加せず、アマチュアイズム重視を目指したが、等々力スタジアムのある中原区の商店街や青年会議所が中心となって実業団チームから市民チームとして育てることとし、チームもこれに応じる形で1996年(旧JFL)にまずチーム名を「富士通川崎サッカー部」と川崎市の名前を被せて、1997年にJリーグ準会員(JFL2位以内でJリーグ昇格の権利獲得)となるのを機に富士通サッカー部を法人組織「富士通川崎スポーツマネジメント」、チーム名も「川崎フロンターレ」として再スタートすることが決まった。 2000年のシーズンを最後にヴェルディが東京都(東京(味の素)スタジアム)へ移転することが決まったため、川崎市から1部リーグのチームはこの時点で一旦消滅した。
川崎フロンターレは、2001年にはJ2に降格していたが、2004年、元鹿島アントラーズの関塚隆を監督として迎え、J2・2回目の優勝、J1復帰を決めた。フロンターレは、地域のコミュニティを重視し、試合だけに限らず様々なイベントに参加することをチーム運営の方針としている。2004年9月には川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制定による認定を受け、さらに2006年4月にはフットサル施設「フロンタウン・さぎぬま」の指定管理者になっている。
[編集] アマチュアスポーツ
工業都市として発展した地域のため、社員・職員の福利厚生と健康増進を目的とした企業によるスポーツチームは数多く作られてきた。とくに野球は盛んであり、そのシンボル的存在として川崎球場(開設時は川崎スタヂアム)が誕生すると都市対抗野球で数多くのチームが活躍し、また他のスポーツでも全国リーグの展開やマスメディアの発達などにより社名の宣伝効果も期待されるようになった。
だが企業内の「非生産的部門」ということから不況による企業の経営悪化などの影響を強く受け、休廃部や市外への転出・統合も数多く発生した。しかし2004年9月に川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーが制定されると、プロチームの川崎フロンターレと同様に「市内のスポーツ資源」という立場を得ることになり、市の広報などでも多く扱われるようになった。
[編集] 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー
- 2004年認定
- 2005年認定
- 2006年認定
[編集] その他のチーム
- 東信電気卓球部(日本卓球リーグ)
- 信号器材卓球部(日本卓球リーグ)
[編集] 交通
[編集] 空港
市内に空港はないが、多摩川を隔てて隣接している東京都大田区に羽田空港があり、京浜急行の直通列車や新百合ヶ丘など市内各地から、連絡バスが運行されている。現在、羽田空港の再拡張工事にともない、神奈川口として川崎市側にも首都高速道路の空港出口を設ける検討が進められている。
[編集] 鉄道路線
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東海道本線 : 川崎駅 ※特急列車は踊り子の一部が停車する。
- 京浜東北線 : 川崎駅
- 東海道貨物線 : (旅客営業は行っていない。)
- 南武線 : 川崎駅 - 尻手駅 -(この間の矢向駅は横浜市鶴見区)- 鹿島田駅 - 平間駅 - 向河原駅 - 武蔵小杉駅 - 武蔵中原駅 - 武蔵新城駅 - 武蔵溝ノ口駅 - 津田山駅 - 久地駅 - 宿河原駅 - 登戸駅 - 中野島駅 - 稲田堤駅
- 鶴見線 : 武蔵白石駅 - 浜川崎駅 - 昭和駅 - 扇町駅
- 鶴見線大川支線 : 大川駅
- 横須賀線 : 新川崎駅(2009年を目処に武蔵小杉駅を設置する予定。)
- 武蔵野線 : (市域内に旅客駅はない。主として貨物線として利用。旅客営業は臨時列車のみ)
- 日本貨物鉄道(JR貨物)第2種鉄道として以下の路線で貨物営業を行う(駅名は貨物駅のみ)。
- 東海道貨物線 : 川崎貨物駅
- 品鶴線 : 新鶴見信号場
- 南武線支線 : 尻手駅 - 八丁畷駅 - 川崎新町駅 - 浜川崎駅
- 鶴見線 : 浜川崎駅 - 扇町駅
- 鶴見線大川支線 : 大川駅
- 武蔵野線 : 梶ヶ谷貨物ターミナル駅 - 新鶴見信号場
- 神奈川臨海鉄道 貨物営業のみ
- 浮島線 : 川崎貨物駅 - 末広町駅 - 浮島町駅
- 千鳥線 : 川崎貨物駅 - 千鳥町駅
- 水江線 : 川崎貨物駅 - 水江町駅
- 一部ルート変更の上で地下化される予定で、2005年に一部着工。
- 東京急行電鉄
- 武蔵小杉駅まで目黒線が乗り入れ
[編集] 計画中の路線
- 川崎縦貫高速鉄道 : 1960年代より都市交通の骨格として政府の答申で必要性が謳われ、2000年の運輸政策審議会答申第18号では「目標年次(2015年)までに開業することが適当である路線」(A1) に位置づけられた。2001年には川崎市が鉄道事業許可を取得したが、当時の厳しい経済環境を反映して着工が延期された。しかし、川崎市の大型公共施設が集積する等々力緑地、及び横須賀線新駅の建設が決まり交通結節点として重要度が増した武蔵小杉駅を経由するルートに変更して開業に向けた調整が行われている。
[編集] 構想中の路線
- 東海道貨物線 : 既存の東海道貨物線を旅客化し、南武支線川崎駅-川崎新町間に路線を新設。
- 横浜市営地下鉄3号線 : あざみ野駅 から 新百合ヶ丘駅に路線を延伸。(横浜市交通局)
[編集] 廃止された路線
- 向ヶ丘遊園モノレール : 向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅。1966年開業、2000年廃止。
[編集] バス路線
川崎市バスがほぼ全域で運行されているほか、概ね臨港バスが臨海部から東横線まで、東急バスが東横線から小田急線まで、小田急バスが小田急沿線でそれぞれ運行している。乗降方式は前乗り後降り、運賃は均一制である。
- 川崎市交通局 : 上平間営業所・塩浜営業所・井田営業所・鷲ヶ峰営業所
- 川崎鶴見臨港バス : 神明町営業所・塩浜営業所・浜川崎営業所
- 臨港グリーンバス : 川崎営業所
- 京浜急行バス
- 羽田京急バス
- 東急バス : 川崎営業所・高津営業所・虹が丘営業所
- 小田急バス : 生田営業所
- 神奈川中央交通
- 横浜市交通局
[編集] 道路
[編集] 高速道路
[編集] 一般国道
[編集] 県道
- 神奈川県道2号東京丸子横浜線
- 神奈川県道3号世田谷町田線
- 神奈川県道6号東京大師横浜線
- 神奈川県道9号川崎府中線
- 神奈川県道12号横浜上麻生線
- 神奈川県道13号横浜生田線
- 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線
- 神奈川県道19号町田調布線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 一般都道府県道
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 寺社
- 参道は日本の音風景100選に選ばれている。
- 身代わり不動
- 信行寺(春秋苑)
- 琴平神社
- 高石神社
- 常楽寺(まんが寺、日本まんが博物館)
- 天照皇大神
[編集] 博物館
[編集] 美術館
- 川崎市市民ミュージアム(博物館の役割も持つ)
- 川崎市岡本太郎美術館
[編集] 音楽
- ミューザ川崎シンフォニーホール - 幸区内、川崎駅前西口に2004年開場。
- CLUB CITTA'(ライブハウス)
- よみうりランドEAST(オープンシアター、野外音楽場)
[編集] レジャー
[編集] 公園
[編集] イベント
- 下麻生不動院だるま市
- 多摩川花火大会
- 稲毛神社山王祭
- しんゆり芸術フェスティバル
- かわさき市民祭り
- ファンタジーかわさきインナイト
- かわさきロボット大会
- In Unity
[編集] 関連番組
[編集] テレビ
- ファイト!川崎フロンターレ(金22:30~22:55、tvk)
- かわさき すまいる(土10:00~10:10、tvk)、[再] 本放送の翌週
- かわさき 音楽人(日22:55~23:00、tvk)、[再] 本放送の翌週
[編集] ラジオ
- KAWASAKI CROSSING(水14:00~14:15、FMヨコハマ)
- 土井里美のかわさき・みつけた(金9:00~9:10、ラジオ日本)
- 音楽のまち・かわさき(日8:15~8:30、ラジオ日本)
[編集] 舞台にした作品
[編集] 映画
- 御意見無用・爆走一番星・望郷一番星・天下御免・男一匹桃次郎・一番星北へ帰る・熱風5000㌔・故郷特急便
- ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年)大映
- 17才~旅立ちのふたり~ (2003年)
[編集] テレビドラマ
[編集] 漫画
[編集] 出身有名人
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[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
このページはウィキプロジェクト 日本の市町村のテンプレートを使用しています。
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- 神奈川県の自治体等
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