戦闘団
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戦闘団(せんとうだん)とは陸軍の複数兵科の戦闘部隊が、諸兵科連合部隊として単一の部隊として編成されたものを指す。この先駆けは前大戦中のドイツ軍のカンプフグルッペ(独:Kampfgruppe)である。諸兵科連合部隊は、様々な規模で編成されるが、戦闘団の名称の場合には主に連隊規模のものである。連隊戦闘団(英:Regimental Combat Team レジメンタル・コンバット・チーム, RCT )ともいう。
陸軍において、各戦闘部隊は通常、歩兵や戦車など、単一兵科で構成されている。これは、単一兵科であった方が、管理・教育・訓練・補給などが行いやすいためである。しかし、各兵科には、戦闘の際に、お互いの持つ弱点をカバーし、利点を生かすために、諸兵科連合部隊を構成する必要がある。この諸兵科連合部隊で主に連隊規模のものが戦闘団である。戦闘団は、管理などが複雑化する為、恒久的な性格を持つものではなく、必要に応じて柔軟に編成されるものである。
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[編集] ドイツ軍のケース
第二次世界大戦後半のドイツ軍において、一個装甲師団(1944年型)では2~4個のカンプフグルッペが編成された。うち、一個は師団主力として、装甲連隊一個に装甲擲弾兵一個大隊程度をつけたものを基幹とした。残りのカンプフグルッペは、擲弾兵連隊を基幹としたため、戦力としては師団主力のカンプフグルッペよりも劣った。なお、カンプフグルッペの名称は、カンプフグルッペの部隊長ともなる基幹部隊の隊長名をつけることが多かった。 ドイツ軍のカンプフグルッペは恒常的に編成されていたとはいえ、あくまでも臨時に編成されるものであり、戦闘団の司令部は、戦闘団の基幹となる部隊の司令部がそのまま用いられた為、指揮官は戦闘団全体の指揮と、自分の部隊の指揮を同時に執らねばならず、多忙を極めた。
[編集] アメリカ軍のケース
1943年型編成のアメリカ機甲師団においては、師団の中に三個の戦闘団司令部が常設で含まれており、連隊が存在しない。その為、戦闘団編成時の基幹部隊の部隊長がそのまま戦闘団指揮官となるドイツ軍のカンプフグルッペと異なり、戦闘団指揮官は戦闘団全体の指揮に専念できた。 各戦闘団司令部には、戦車大隊、歩兵大隊、砲兵大隊、工兵中隊、各一個ずつを配属できた。また、この配属の割合は変更する事が可能であり、例えば敵戦車の出現が大である地域に進撃する戦闘団には、戦車大隊の割合を増やすといった、柔軟な編成が行えた。 各戦闘団司令部の名称は、「A」「B」「R」(Reserve:予備)であった。「A」「B」に比べ、「R」は戦闘団司令部の規模が若干小さくなっていた。 尚、戦闘団の呼び方は“コンバット・コマンド”である。
[編集] 陸上自衛隊のケース
陸上自衛隊においても必要に応じ、戦闘団が編成される。
[編集] 普通科戦闘団
主に1個普通科連隊に対して1個特科大隊、高射特科中隊(小隊)、戦車中隊、施設中隊、通信小隊、衛生隊、武器(DS)小隊、補給隊などを組み込んで編成する。指揮官は普通科連隊長が戦闘団長として指揮を行う。
旅団に所属する部隊の場合は、特科大隊が特科中隊になり、戦車・施設などの各中隊は小隊規模で編成になる
[編集] 戦車戦闘団
機甲師団たる第7師団の第71戦車連隊・第72戦車連隊・第73戦車連隊や、第2師団の第2戦車連隊・北部方面隊隷下の第1戦車群では、普通科戦闘団に代って、主に機甲科戦闘団として戦車戦闘団の編成を行う。編成は普通科戦闘団が戦車戦闘団として入れ替わったくらいで普通科連隊が戦車連隊(大隊・隊)、戦車中隊が普通科中隊に入れ替わる。その際、普通科中隊は装甲化した普通科中隊(96式装輪装甲車・89式装甲戦闘車・73式装甲車等を保有する普通科中隊)でもって編成する。戦闘団長は主に戦車連隊長(第1戦車群では郡長)が戦闘団長として指揮を行う。