戸石城
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戸石城(といしじょう、砥石城)は、信濃国小県郡(現在の長野県上田市上野)にあった城郭。形式は山城。別名に砥石城。長野県指定史跡。
[編集] 地勢
東太郎山の周辺部、北東部の真田郷へ向かう谷間に位置。西側には神川が南西へ流れ、千曲川と合流。上州街道を真田郷を経て鳥居峠を越えると上野国吾妻郡に至る。南西部には上田原が広がり、筑摩軍や佐久郡、埴科郡を経て善光寺方面へ至る。南西に位置する米山城(小宮山城)、飯縄城、伊勢山城などを含めた複合城郭。
[編集] 歴史
築城年代は不明だが、戦国時代に、埴科郡を本拠に信濃国北部を治めた村上義清が、小県郡・佐久郡方面の進出の拠点として大改築された(戸石城は元来城に付属する出城の名前であったものがいつしか城全体の呼称になったとも言われている)。
その後、信濃へ進出する甲斐の武田晴信(信玄)との間で激しい攻防が繰り広げられた。だが、天文17年(1548年)の上田原の戦いで村上方に大敗した晴信は、晴信は天文19年(1549年)にも小県へ侵攻するが大敗し、「戸石崩れ」と呼ばれる。武田軍は村上義清を戸石城に追い込んだものの、義清の奇襲を受けて潰走する。晴信は家臣の真田幸隆に攻略を命じ、『高白斎記』によれば幸隆は調略によって城内に内通者を出し、天文20年(1551年)5月に陥落させる。同城は真田氏に与えられ、武田氏が北信濃へ進出する拠点となった。
近年の発掘ではめぼしい遺構が発見されず、天正11年(1583年)に尼ヶ淵に上田城が築かれるまでの短期間の真田氏居城であったと考えられている。上田合戦においても支城として利用された。
[編集] 関連事項
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