文成帝
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姓名 | 拓跋濬 |
年号 | |
廟号 | 高宗 |
字 | - |
諡号 | 文成帝 |
生没年 | 440年-465年 |
在位 | 452年-465年 |
父 | 景穆帝 |
母 | 閭氏 |
文成帝(ぶんせいてい, 440年 - 465年, 在位452年 - 465年)とは、中国北魏の第4代皇帝である。廟号は高祖。諡号は文成皇帝。
目次 |
[編集] 生涯
452年、宗愛が文成帝の祖父・太武帝を弑し、さらに皇后令を曲げて、皇族であった東平林王・拓跋翰(拓跋晃の異母弟)を殺害した。こうして宗愛は、文成帝の季父(末の叔父)の南安隠王拓跋余を擁立した。だが、八ヶ月後には拓跋余も宗愛に対して辟易し、親政すべく宗愛の誅殺を諮るも、それを敏感に嗅覚し、先手を打った宗愛によって殺害される事件が発生した。これに対して、尚書の陸麗・羽林郎中(近衛団長)の劉尼・殿中尚書の源賀らが立ち上がり、逸早く宗愛を殺害し、亡き皇太子の拓跋晃の長男の拓跋濬(文成帝)を擁立した。
即位後は民力休養を是とし、開墾殖産を奨励した。また国内の求心力を高める意味からも仏教弾圧を廃止し、曇曜の上奏により僧祇戸や仏図戸を設けた。
[編集] 宗室
[編集] 父
- 恭宗(高宗)・景穆帝拓跋晃
[編集] 后妃
- 孝元皇后
- 李夫人
- 曹夫人
- 沮渠夫人生
- 乙夫人
- 悦夫人
- 玄夫人
[編集] 子
- 献文帝拓跋弘
- 安楽厲王拓跋長楽
- 広川荘王拓跋略
- 斉郡順王拓跋簡
- 河間孝王拓跋若
- 安豊匡王拓跋猛
- 哀王拓跋安平
[編集] 年号
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