日本触媒
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 日触 |
本社所在地 | 〒541-0043 大阪市中央区高麗橋4-1-1 興銀ビル |
電話番号 | 06-6223-9111 |
設立 | 1941年(昭和16年)8月21日 |
業種 | 化学 |
事業内容 | 基礎化学品、機能性化学品、環境・触媒 |
代表者 | 近藤 忠夫(代表取締役社長) |
資本金 | 16,529百万円 |
売上高 | 連結:232,441百万円 単独:170,510百万円(2006年3月) |
従業員数 | 連結:2,806名 単体:1,730名(2006年3月) |
決算期 | 3月 |
関係する人物 | 八谷泰造(創業者) |
外部リンク | 株式会社日本触媒 |
株式会社日本触媒(にっぽんしょくばい)は、八谷泰造が創業した大阪市中央区に所在する日本の化学会社。
目次 |
[編集] 理念
テクノアメニティーを理念として掲げている。テクノロジー(技術)でアメニティー(快適さ)を人々に提供していこうという意味である。
[編集] 事業所
- 本社:大阪、東京
- 研究所:基盤技術研究所(吹田、筑波、姫路)、先端材料研究所(吹田、姫路)、機能性化学品研究所(吹田)、電子情報材料研究所(吹田、筑波)、触媒研究所(川崎、姫路)、吸水性樹脂研究所(姫路)
- 製造所・工場:川崎、姫路、吹田、愛媛
- 海外事業所:アメリカ、シンガポール、インドネシア、ベルギー、中国
[編集] 沿革
- 1941年 - ヲサメ合成化学工業株式会社設立
- 1949年 - 社名を日本触媒化学工業株式会社に改称
- 1970年 - プロピレン酸化法によるアクリル酸、アクリル酸エステルを日本で初めて工業化
- 1974年 - 自動車触媒製造開始
- 1985年 - 高吸水性樹脂本格製造開始
- 1991年 - 社名を株式会社日本触媒に改称
- 1997年 - ダイオキシン類分解触媒製造開始
[編集] 概要
主な取扱商品はアクリル酸と高吸水性樹脂。
- 世界のアクリル酸製造能力の55%のシェアを持つが、自社のアクリル酸の世界シェアは15%で世界3位である。このギャップはどこから生まれてくるかというと、この会社では世界の化学メーカーにライセンシングを行なっており、その全ての製造能力を合計するとこのような数値となる。
- 高吸水性樹脂においては世界シェア25%(世界第一位)を取得しており、単純に言い換えると世界中の紙おむつの吸水ポリマーの4分の1はこの会社で製造されたものである。またこの吸収剤は体積の1000倍の水を吸収保持する特性があることから、砂漠にポリマーを埋めて吸水させて植物を植え、砂漠の緑化を行なうプロジェクトが計画されている。
- この会社の名前にある「触媒」が示すとおりダイオキシン分解触媒や自動車排気ガスの排煙触媒の製造も行なっている。この会社では触媒となる化学品の製造を行なっており、それが適応されるフィルターは製造していない。この触媒付フィルターの中に排煙を通すことで、内部での化学反応が促進され、汚染物質が除去されるという仕組みである。
[編集] 広告展開
1991年製作のCMで台湾の映画監督侯孝賢を、続く1992年製作のCMではフィンランドの映画監督アキ・カウリスマキを、それぞれCMディレクターとして起用、大きな話題を呼んだ。
[編集] 関連事項
高杉良の『炎の経営者』(サンケイ出版、1986年)は、1950年11月、社長の八谷泰造が寝台特急筑紫に乗り込み、富士製鉄(現:新日本製鐵)社長永野重雄に出資を依頼するシーンから始まる。