日産・プリンスロイヤル
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プリンスロイヤル | |
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製造期間 | 1967年 – 1972年 |
ボディタイプ | 4ドア リムジン |
エンジン | W64型 V8 6.4L 260PS |
全長 | 6155mm |
全幅 | 2100mm |
全高 | 1800mm |
車両重量 | 3200kg |
先代 | なし |
後継 | なし |
車台が共通の車種 | なし |
同クラスの車種 | センチュリーロイヤル |
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プリンスロイヤルは1967年より日産自動車(日産自動車に吸収合併される以前の旧・プリンス自動車)が製作した御料車。日本では数例しか新造例がないリムジンでもある。型式名、S390P-1。
目次 |
[編集] 概要
第二次世界大戦前来、皇室用の自動車はディムラーやロールス・ロイス、メルセデス・ベンツなど、外国車を採用してきたが、1960年代当時勃興期にあった日本の自動車工業界では、これらを国産車でまかなうことが悲願とされた。同様の構想は政府レベルでも持ち合わせており、宮内庁は自動車工業会へ国産リムジンの開発を諮問する。その結果、たまたま、当時の皇太子(今上天皇)がプリンス自動車の乗用車であるスカイラインやグロリアを愛用し、宮内庁と車両納入で密接な関係にあったプリンス自動車が、1965年より開発を担当することとなった。ただし、完成時は日産自動車に吸収合併された後であった為に、車名は「日産・プリンスロイヤル」となった。
開発にあたり、当時の技術の粋を集め、メーカーの枠を超えた協力体制でほぼ純国産技術で完成させる。車体はグロリアをベースとした縦目2灯デュアルヘッドライトのデザインで、運転室と座席の間には仕切があり、侍従用に補助席を持つため乗員は8名。ほぼ手作りに近い品質管理が行われ、内装も西陣織をふんだんに使用するなど最高品質が追求された。
市販はされず、宮内庁と外務省に7台が製作されたのみで、後年1台が霊柩車対応のワゴンに改造されている。今もって国産車の最高峰に君臨する存在であるが、製造以来30年が経過し老朽化が懸念される事態となったことから、製造元の日産自動車は2004年2月以来、使用中止を宮内庁へ要請した。
[編集] 後継車
その要請に宮内庁は2005年に後継車としてセンチュリーロイヤルが発表されたことを受け、段階的に使用を止めることを発表した。
[編集] 機構
駆動方式はFR。エンジンは特別開発のV型8気筒OHV W64型6400cc。サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン、後輪はリーフスプリングによる固定式。ステアリングはリサーキュレーティング・ボール式 。変速機構は3ATだが、当時これのみ国産化が出来ず、アメリカのゼネラルモーターズより納入を仰いだ。使用時の故障が許されない御料車との特殊用途のため、ブレーキと燃料系は二重系統とされるなど万全を期している。
[編集] 車名の由来
当初、プリンス自動車が製造する予定で、車名も「ロイヤル」とされていた。しかし、後に、プリンス自動車は日産自動車に吸収合併された事に伴い、日産自動車は御料車としての名称として「プリンス」の語呂が良かった事と、元々の開発メーカーであり被合併会社に対する敬意から「プリンス」を車名として組み込んだ。なお、「ロイヤル・プリンス」ではなく「プリンス・ロイヤル」としたのは、ラテン語文法に倣うのが上品であるとされていたからといわれる。