日産自動車九州硬式野球部
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チーム名 | 日産自動車九州硬式野球部 |
加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
創設年度 | 1985年 |
チーム名の遍歴 | 日産自動車九州硬式野球部(1985年-) |
本拠地 | |
収容人員 | |
オーナー | |
親会社 | 日産自動車九州工場 |
監督 | 中込健司 |
タイトル | 都市対抗:0回、日本選手権:0回 |
(優勝年度) | 都市対抗、日本選手権ともまだなし |
日産自動車九州硬式野球部(にっさんじどうしゃきゅうしゅうこうしきやきゅうぶ)は、福岡県京都郡苅田町に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。
- 九州の企業チームとしてはJR九州、ホンダ熊本、三菱重工長崎などと共に強豪の1つとして位置づけられる。
- 横須賀市の日産自動車硬式野球部とはまた一味違った叩き上げのチームだが、新日鐵八幡、ローソン、神戸製鋼など、休廃部したチームから選手を受け入れ、積極的な補強も行っている。
目次 |
[編集] 設立・沿革
- 1985年 日産自動車2つめの硬式野球部として、九州工場内で創部
- 1987年 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 1994年 藤井政夫(後の藤井将雄)の活躍と、3試合で22本塁打と打線が大爆発して都市対抗野球九州地区二次予選を突破して都市対抗野球に初出場。いきなり準々決勝進出を果たす。
- 2002年11月20日、練習試合中に丸山豊揚主将が29歳の若さで急逝する。チームは「ドーム出場を捧げる」ことを目標に一丸となり、翌年の都市対抗野球で九州第1代表の座をつかんだ。
[編集] 主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場6回、8強1回(1994年)
- 日本選手権 出場8回、8強1回(1996年)
- JABA四国大会 優勝1回(1992年)
- JABA徳山(スポニチ)大会 優勝1回(1999年)
[編集] 主な出身プロ野球選手
[編集] チーム陣容
年齢は2006年度現在。
- 33 中込健司(なかごみ けんじ)
- 監督 42歳 浦和実業 - 日本鋼管 - 日産自動車 : チームの移籍、さらにバッテリー両方の経験もある。投手の再生に定評がある。
- 16 藤井崇令(ふじい たかはる)
- 投手 28歳 柳学園 - 甲賀総合科学専門学校 - 日産車体京都 : 移籍を経て成長した左腕。制球力と連打を許さない粘りが際立つ。
- 18 永富竜男(ながとみ たつお)
- 投手 30歳 東海大五 : 140キロを超えるキレのいい速球と変化球で活躍するベテランエース。
- 2 森山泰(もりやま やすし)
- 捕手 26歳 鹿児島実業 - 新日鐵八幡 : 強肩強打の捕手。高校では杉内俊哉とバッテリーを組んでいた。
- 24 高井克昌(たかい かつまさ)
- コーチ兼捕手 36歳 九州産業 : ベテラン捕手の勝負強さは健在。
- 3 高山慶彦(たかやま よしひこ)
- 内野手 26歳 西日本短大附属 - 新日鐵八幡 : 新日鐵八幡では入部1年目から頭角を現した。小柄だが俊足強打を発揮する。
- 5 池田隼人(いけだ はやと)
- 内野手 24歳 柳川 - ローソン : 高校では香月良太と共に甲子園春夏連続出場。選球眼のよさと巧打は高校時代から注目を浴びている。
- 7 田中健一(たなか けんいち)
- 内野手 28歳 佐世保工 : 入社後は早くから三塁手で出場機会を与えられていたが、2003年から二塁転向。攻守に堅実さがある。
- 9 下迫将也(しもさこ まさや)
- 内野手 27歳 如水館 - 神戸製鋼 : もともとは捕手だったが、打力と勝負強さを買われた一塁転向が吉と出た。退部した高峰に替わり中軸打者として活躍している。
- 23 今村直樹(いまむら なおき)
- 外野手 35歳 波佐見 : 内外野をこなす上に攻守走すべてが揃ったユーティリティープレーヤー。2003年と2004年には日本代表にも選出されている。
- 26 石井康雄(いしい やすお)
- 外野手 32歳 常磐 - 新日鐵八幡 : 新日鐵八幡最後の4番打者、日本代表にも4度選ばれた強打者で、チームの主将も務める。2003年の八幡最後の試合では、前の試合で手を亀裂骨折していたにもかかわらず最終打席で本塁打を放った。長打力と勝負強さは健在。
[編集] おもなOB
- 丸山 豊揚(まるやま とよあき)
- 内野手 久留米工業大附属 : 「九州のイチロー」といわれた俊足好守好打もさることながら、主将としてチームを引っ張る姿勢も素晴らしい選手だった。2002年11月13日の練習試合中に倒れ、11月20日に死去。29歳でのあまりに突然の死は社会人野球界に衝撃を与えた。
- 高峰 誠(たかみね まこと)
- 内野手 瓊浦 - 九州東海大 : 184cm95kgの体格を存分に生かした長打力と勝負強さで、九州屈指の4番打者として活躍した。