日産・240RS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日産240RS(BS110型 1983-1986年)とは、日産自動車が1983年、当時グループBで争われていたWRCに参戦するために開発した、ラリー競技専用のホモロゲーションモデルまたは同競技車両のこと。 1983年から1986年まで参戦したWRCでの最高成績は2位。 マシンの開発には、元レーシングドライバーで当時日産のワークスドライバーだった長谷見昌弘らも参加していた。
車名の由来は、排気量2400ccのエンジンを搭載していることと、最高出力の240馬力にちなんで、といわれている。
ベースとなったのは3代目シルビア(S110型)で、ボディタイプはノッチバッククーペが選択された。
生産台数は200数台といわれている。主に左ハンドルのモデルが販売されたが、極少数右ハンドル車が存在した。一説では、総生産台数の内、左ハンドル車が150台、右ハンドル車が50台生産され、この中の30台ほどがWRCや各国の国内ラリー選手権に使用されたとされている。
日本でもラリー関係者に少数販売されたが、詳細な記録が残っておらず、正確な販売台数は不明である。
240RSのホモロゲーションモデル及びカスタマースペック車に使われたのは2340cc・240PS のFJ24型である。さらに、240RSのワークスカーには275PSを発生するFJ24改を搭載するエボリューションモデルが存在した。燃料供給はいずれもキャブ仕様だった。
意外なことに、FJ24型エンジンは日本国内で販売されていたFJ20E型とは構造が異なり、ほとんど共通パーツが無い。ゆえに、FJ20E型のボアアップ版という説があるがこれは誤りで、実際はFJ20E型とは全く別設計の競技用エンジンである。
ちなみに、最大出力が300馬力以下だったため、WRCがグループA車両で行われるようになった1987年以降も、レギュレーション上は競技に参加可能な車両のひとつであった。
このマシンは海外ラリー競技用という性格から海外での販売を見込んでおり、日本国内で販売する事を想定していなかった。故に、日本の排気ガス規制のクリアは考慮されていなかった。
2006年のNISMOフェスティバルでは、日産自動車の有志の手でレストアされたワークスマシンが完成し、デモランを行った。現在この車両は日産の座間記念車庫に保管されている。
また、ローカル競技ではあるが、240RSは日本のあるエンスージアストの手により近年のタルガ・タスマニア・ラリーに参戦し、好成績を収めている。
余談だが、ベースモデルとなったS110型シルビアは1982年の第30回サファリ・ラリーに出場し、LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。 また、LZ20B型の排気量アップ版であるLZ24B型が開発され、同じくグループ4仕様のS110型シルビアに搭載されて数戦の海外ラリーに参戦した。 これらは翌年の発表を控えた240RSのテストベッド的な車両だったと思われる。