昭明太子
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昭明太子(しょうめいたいし、501年 - 531年)は、中国の南北朝時代の人物。本名は蕭統(しょうとう)、字は徳施、梁の武帝蕭衍の長子であり、廃帝棟の祖父、後梁の中宗宣帝の父。
三歳で『論語』『孝経』を読み、五歳で五経を全て読破したと言われる聡明な人物で、武帝の皇太子として、成人してからは国政に携わり、民衆に仁政を行った。また、文章家としても後世に知られている。
蔵書三万巻を持っていたと言われる太子の傍には優れた文人が集まり、それらの助けを借りて各種の名文を集めた『文選』を編纂した。
その後に舟遊びの際に水に転落し、それが元で病気を発して死去した。死後、簡文帝により、高宗昭明帝と追号された。
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