最首悟
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最首 悟(さいしゅ さとる、1936年 - )は、駿台予備学校論文科講師、和光大学人間関係学科教授(環境哲学)、同学部長、評論家。
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[編集] 人物
東大助手時代から全共闘運動や水俣病問題へ積極的に取り組み、また、愛娘・星子が障害を持って生まれて来たことから、障害者問題へも深く関わって来た。そうした社会問題への関与から、大学当局に嫌われていたようで、東大では助手から先へは上がれず、27年間助手を務めたまま、定年退職した(なお、当時の国立大学の助手は国家公務員待遇であったので、通常の生活にはさして困るわけではなかった)。その後、私立大学へ教授として迎えられた。
長年にわたって、駿台予備学校へも出講し、当初は生物科講師、のちに医学部受験者用の「医系小論文」を中心とする論文科講師として活躍し、現在に至っている。近年では、医系英語担当の船岡富有子とのジョイント講義「医系英語・論文マルチプレックス」が好評を博している。また、国立大学の分離分割方式導入以来、東大後期入試の総合科目I(理系英語)の責任者でもあり、青本執筆の他、3月の直前セミナーでは当該講座を担当している。
学んでいる学生がつくっているオルタナティヴなNPOのシューレ大学の1999年の設立以来顧問・アドバイザーを勤めている。当初から続いている生命論(いのちろん)は、生物学、哲学、社会思想、60~70年代の学生運動論、「障碍」論をはじめ、臨機応変、縦横に議論を展開し続けている。
2001年に駿台文庫より上梓した『お医者さんになろう 医学部への小論文』は、著者が長年培って来た医学観・科学観が結実した感があり(「医は意なり」など)、一般の読み物としても興味深い。
[編集] 経歴
- 1936年福島県生まれ、千葉県育ち
- 東京大学理学部動物学科博士課程中退
- 同大学教養学部助手を27年間勤める
- 元 恵泉女学園大学教授
- 障害者作業所「カプカプ」運営委員
- 津田塾大学や東京シューレ大学への出講経験もある
[編集] 著書
[編集] 大学受験参考書
- 『お医者さんになろう 医学部への小論文』 (駿台文庫、2001年)
- (勝田 耕史・大原 正幸・船岡 富有子)『お医者さんになろう 医学部への英語』 (駿台文庫、2002年)
- 駿台予備学校編 『大学入試完全攻略シリーズ 東京大学 理科 後期日程』 (駿台文庫, 年次版) など
※ 通称、青本。総合科目Iの「出題分析と合格作戦」「解答・解説」執筆
[編集] 評論集
- 『山本義隆潜行記』 (講談社、1969年)
- 『生あるものは皆この海に染まり』 (新曜社、1984年)
- 『半生の思想 (河合ブックレット)』 (河合文化教育研究所、1991年)
- 『明日もまた今日のごとく』 (どうぶつ社、1988年)
- 『出月私記』 (新曜社、1989年)
- 『水俣の海底から』 (京都・水俣病を告発する会、1991年)
- 『星子が居る』 (世織書房、1998年)
- (盛口 襄・山口 幸夫)『理科を変える、学校が変わる』 (七つ森書館、2001年)
- 「ケアの淵源」 (川本隆史)『ケアの社会倫理学 (有斐閣選書)』 (有斐閣、2005年)
ほか多数
[編集] 寄稿論文・関連記事など
- 「『ホントウとは何か』予備校で考える」『ザ・予備校』 (第三書館、1986年)pp. 200-205.
- 特集「教育変革と新しい予備校像」 『駿台フォーラム』第19号(2001年) ISSN 02895579
- 「<予備>の持続と変容」
- 船岡富有子「医系英語論文マルチプレックスについて」
ほか多数