本因坊道知
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本因坊 道知(ほんいんぼう どうち、元禄3年(1690年) - 享保12年(1727年)は江戸時代の囲碁棋士。五世本因坊。生国は江戸。名人碁所。
師は本因坊道策。道的・策元と二人の跡目が夭逝した後に、道策はまだ幼かった道知を後継者に選び、井上家四世因碩に後見を委ねた。道知は無事大成し、四世安井仙角を争碁で撃破するなど第一人者への道を歩んだ。当時の棋界では無敵で「盤上の聖」とうたわれ、将棋の実力も一流であった。なお、道知は道策の実子であったという説が近年有力となっている。
ただし元禄期の碁界は談合と馴れ合いが横行し、勝敗は事前の申し合わせで決められていた。このため道知はその実力を完全に発揮することはなく、本気で打った棋譜はほとんどないとされる。道知の黒番は全て5目勝ち、白番は2目か3目負けと判で押したように決まっており、これは道知が「これは作り物の碁で、自分の実力はこんなものではないのだ」ということを後世に示すためであったといわれている。
江戸幕府八代将軍徳川吉宗から囲碁、将棋の歴史について下問があった折に、老中大久保常春から将棋方大橋宗与と共に囲碁、将棋の歴史の編纂を命じられ、『碁将棋事績調べ』を著した。
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