杉本龍造
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杉本 龍造(すぎもと りゅうぞう)は、日本の政治家。三重県鈴鹿市の市長を歴任した人物。
杉本龍造は箕田村の出身、家業は代々続いた造り酒屋で屋号は箕田屋と言われていた。
鈴鹿市の2代目市長に就任後、戦後(戦争中も含めて)初めての官選市長として全国的に最長(25期?)の市長を務めた。殆ど対抗馬が現れなかったため地元では名市長として名高い。途中2度ほど対抗馬が出馬したが相手は身内(従兄弟関係)であった。なぜこれほど長期に市長職が勤まったのか、それは私利私欲に走らず財を全て投げ出し市民、地元の発展に寄与したからである。退職時においても退職一時金1億2千萬円余までも辞退したと言われている。
市長になってからは神戸竪町(現在の神戸)に居を構えた。夫人も四日市市の造り酒屋から越し入れしている。神戸[龍光寺]の檀家長であったがそこの住職が後の鈴鹿市長の衣斐賢譲氏であった。元々鈴鹿市は戦前軍都(鈴鹿海軍航空隊、海軍工廠、陸軍工廠、陸軍航空隊)として栄えたため多くの工業用地があったが、市長在職中は無公害の企業ばかりの誘致に努力した、その為現在も財政的には豊かな市の基礎を築けたのである。
誘致企業として代表的なものとして本田技研工業、鈴鹿サーキット、旭化成、カネボウ、大東紡、呉羽紡、等であった(紡績産業の衰退により現在跡地は大学や大きなショッピングセンターになっている。)。当時四日市の市長が公害の市長さんとして有名であったのに対して、鈴鹿の市長がサーキットの市長とし全国的に有名であった。
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