村田氏寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村田 氏寿(むらた うじひさ、文政4年(1821年) - 明治32年(1899年))は、幕末期の越前福井藩藩士。字は子慎。号は文峰。通称、巳三郎。
450石取りの藩士として松平慶永に仕えた。橋本左内とは親友であり、共に幕末の政情不安の中で国事に語り合うことが多かった。1853年、ペリーが来航すると武者修行と称して江戸に向かい、情勢を探った。1856年には慶永の命令で熊本藩の横井小楠招聘に赴いている。1858年、将軍継嗣問題が起こると、左内と共に一橋派に与して徳川慶喜擁立のために京都で交渉に尽力した。
その後は禁門の変、戊辰戦争などに参加し、慶永の補佐に務めた。維新後は岐阜県令や内務大丞兼警保を務めた。1899年、79歳で死去。