松井幸則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松井 幸則 | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | 松井 幸則 (まつい ゆきのり) |
本名 | 同じ |
身長 | 172cm |
体重 | 88kg |
誕生日 | 1972年12月18日 |
出身地 | 岩手県宮古市 |
所属 | DDTプロレスリング レフェリー |
松井 幸則(まつい ゆきのり 1972年12月18日 - )は、日本のプロレスのレフェリー、プロモーター。岩手県宮古市出身。身長172cm、体重88kg。血液型B型。DDTプロレスリング所属。
目次 |
[編集] 人物
がっしりした体格でやや強面の風貌だが、温厚な人柄で知られる。派手なパフォーマンスは無いが、豊かな経験と技術に裏打ちされた堅実なレフェリングを行い試合の流れを読むのが上手い。場合によって、悪徳レフェリーを演じたり、選手と共にギャグに参加したりと硬軟の幅も広い。大阪プロレス時代はバラエティに富んだ試合を年間500試合以上裁いていた。
[編集] 略歴
オリエンタルプロレス→新格闘プロレス→フリー→WAR→みちのくプロレス→大阪プロレス→フリーを経てDDTプロレスリングに所属。レフェリーとしてのデビューは1994年7月26日に岩手大船渡市体育館で行われた新格闘プロレスの興行、山田圭介vs高智政光戦。
1999年にスペル・デルフィンと共にみちのくプロレスを離脱、大阪プロレスに旗揚げから参加するが2005年2月25日に大阪プロレスを退社。
10月15日にプロモーターとして初の活動を行い団体を越えた興行「びっくりプロレス」を行った。
2006年3月、DDTに所属となる。
[編集] びっくりプロレス
びっくりプロレスは松井幸則がプロデューサーとして行った興行名。第一回は岸和田で行われた。出場選手の多くはなんらかの形で大阪にかかわった事のある選手で、大阪プロレスを退団した選手や引退した選手、ドラゴンゲートからCIMAらブラッドジェネレーション勢、他にもTAKAみちのくやアジアン・クーガーが出場している。インディーの雄と呼ばれる選手も多く、全体的に豪華なマッチメイクだったと言える。
松井幸則自身が認めるように進行に問題点が多く、興行時間は全5試合で3時間と冗長なものとなった。 また、リングアナウンスを務めた的場真人は、試合開始のゴングを鳴らし損ないやり直したほか、選手の名前を言い間違うといったミスをしている。
当日は雨天ながらまずまずの客の入りで、パンフレットも早々売り切れていた。試合内容のそのものの評価は高く、興行としては成功であったと言われている。
第2回も行いたいと本人および関係者の発言が度々あるが、未だ構想の域を出ていない状況となっている。
[編集] 第1回 岸和田大会
岸和田市総合体育館 観衆1433人
- 第1試合
- ○高井憲吾&SYU(11分53秒 パワーボム)柏大五郎&橘隆志●
- 第2試合
- ○土井成樹(6分45秒 バカタレスライディングキック)アジアン・クーガー●
- 第3試合
- ○村濱武洋&日向あずみ(16分367秒 ブレーンバスター)菊タロー●&倉垣翼
- 第4試合
- ○田中将斗&黒田哲広(15分13秒 ダイヤモンドダスト)ドン・フジイ&鷹木信悟●
- 第5試合 オープン・ザ・トライアングルゲート選手権(ドラゴンゲートが管轄するタイトル)
- ○マグニチュード岸和田&CIMA&吉野正人(22分23秒 ラストライド)ディック東郷&TAKAみちのく&Gamma●
[編集] エピソード
- 2006年に結婚している
カテゴリ: プロレスのレフェリー | DDT | 岩手県出身の人物 | 1972年生