松前邦広
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松前邦広(まつまえ くにひろ)は、江戸時代の大名。蝦夷松前藩の第6代藩主。
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時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 宝永2年(1705年) | |||
死没 | 寛保3年閏4月8日(1743年5月31日) | |||
官位 | 従五位下、志摩守 | |||
藩 | 蝦夷松前藩主 | |||
氏族 | 松前氏 | |||
父母 | 父:松前本広、母:杉原正長の娘 養父:松前矩広 |
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妻 | 正室:高野保光の娘 継室:土橋武則の娘 |
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子 | 松前資広(長男)、柳生俊則(次男)、 松前広保(三男)、松前広長(五男)、 娘(高野保古室)、娘(藤倉義伯室) |
宝永2年(1705年)、松前本広の六男として生まれる。藩祖・松前慶広の次男で旗本1500石となった松前忠広の曾孫にあたる。5代藩主・松前矩広の養子となり、養父の死後、享保6年(1721年)に家督を相続。寛保3年(1743年)に死去した。
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