松平信友 (小島藩主)
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松平 信友(まつだいら のぶとも、寛政9年(1797年) - 嘉永元年(1848年)3月)は、駿河小島藩の第7代藩主。父は第6代藩主・松平信圭(信友は長男)。母は大岡忠喜の娘。正室は青山幸孝の娘。子に松平信書、娘(松平信賢室)。官位は従五位下、丹後守。
文化12年(1815年)、父の隠居により後を継いだ。窮乏した藩財政の再建のため、「君臣百姓和同一致」を自ら制定して、領民に藩財政再建への理解を求めた。天保7年(1836年)5月14日、病を理由に養嗣子の松平信賢に家督を譲って隠居し、嘉永元年(1848年)3月に52歳で死去した。墓所:東京都台東区下谷の英信寺。
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