松平泰親
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松平泰親(まつだいらやすちか、乾元元年(1302年)? - 天授3年/永和3年(1377年)?)は、室町時代初期、14世紀後半から15世紀初め頃の三河国の武将で、江戸時代に作成された系譜において松平氏の第二代目とされている人物である。生没年は息子とされる松平信光の生年と合わない事から、異説も有る。
[編集] 経歴
泰親は、松平氏初代の松平親氏の弟とも嫡子とも言われている。弟であるとすれば父は世良田有親ということになる。親氏が松平郷(愛知県豊田市松平町)に松平城(郷敷城)を築いて近隣の諸領主の平定に乗り出すと、泰親は親氏を助けて活躍した。
親氏の死後、家督を継承して松平氏を近隣十数か村を領有する有力国人領主に成長させた。松平氏が額田郡岩津(現在の岡崎市北部地域。松平郷からは低い山を越えた南である)を占領して西三河の平野部に初めて進出したのは泰親の時代ともいう。
[編集] その後の松平氏
泰親の後は信光が松平氏を継承し、岩津に居城を移して本格的に平野部を平定してゆくが、信光は泰親の子であるとも親氏の子であるとも言われている。また、このとき松平郷もやはり泰親の子とも親氏の子とも言われる信広が継承した。
[編集] 疑問点
しかし、上述したような泰親の事歴については後世の徳川氏・松平氏の主張によるものに過ぎず、伝説の域を出るものではない。松平氏創業の二代、親氏と泰親は同時代の史料にその名を見出すことが出来ず、実在を疑う説もある。
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