14世紀
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[編集] 14世紀の歴史
13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明王朝やティムール帝国、オスマン帝国など地域的な新しい国家が誕生した。 14世紀のヨーロッパではイタリアルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換している。
[編集] できごと
- 中世
- インカ帝国の成立。
- オスマン帝国の成立。
- 1300年頃、スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。
- 1301年 - 後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。
- 1301年 - 北条師時が鎌倉幕府第10代執権に就任。
- 1303年 - アナーニ事件。
- 1308年 - 後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
- 1308年 - 守邦親王が鎌倉幕府第9代将軍となる。
- 1308年 - ルーム・セルジューク朝滅亡。
- 1309年 - アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
- 1311年 - 北条宗宣が鎌倉幕府第11代執権に就任。
- 1312年 - 北条煕時が鎌倉幕府第12代執権に就任。
- 1315年 - 北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
- 1315年~1321年頃 - ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷期。
- 1316年 - 北条高時が鎌倉幕府第14代執権に就任。
- 1317年 - 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる。(文保の和談)
- 1318年 - 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
- 1320年 - スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
- 1324年 - 後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
- 1326年 - 北条貞顕が鎌倉幕府第15代執権に就任。
- 1326年 - 北条守時が鎌倉幕府第16代執権に就任。
- 1331年 - 元弘の変
- 1332年 - 幕府、後醍醐天皇を隠岐島に流す。
- 1333年 - 足利尊氏・新田義貞らにより鎌倉幕府が滅亡。
- 1334年 - 南禅寺を五山の第一とする。
- 1335年 - 北条氏の遺臣が中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害
- 1336年
- 1337年 - イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
- 1338年 - 四條畷の戦い
- 1339年
- 8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。
- 8月16日、後醍醐天皇、52歳で没する。
- 1341年 - 塩冶高貞、高師直の讒言により討たれる。
- 1344年 - アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。
- 1347年 - 黒死病が流行し、ヨーロッパの人口が激減(-1351年)。
- 1350年 - タイでアユタヤ王朝成立。
- 1350年 - 観応の擾乱と呼ばれる室町幕府の内部抗争が勃発。
- 1351年 - 紅巾の乱。
- 1352年 - 応安の半済令施行。
- 1356年
- 1358年 - 足利義詮が室町幕府第2代将軍となる。
- 1360年 - 5月、幕府執事の細川清氏が佐々木道誉の讒言で失脚する。
- 1368年
- 1375年 - アステカ王国の成立。
- 1378年 - 教会分裂(シスマ)。
- 1369年 - ティムール王国。
- 1378年 - 花の御所の造営開始。
- 1379年 - 斯波氏のクーデターである康暦の政変で管領の細川頼之が失脚する。
- 1380年 - クリコヴォの戦い。
- 1381年 - イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
- 1383年 - 長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
- 1386年 - ポーランド・リトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
- 1388年 - 北元滅亡。
- 1389年 - コソヴォの戦い。オスマン帝国、セルビア征服。
- 1390年 - 明朝の洪武帝、梁王国を滅ぼし、雲南地方を中国に併合 。
- 1391年 - 明徳の乱
- 1392年
- 1394年 - 足利義満、将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
- 1396年 - ニコポリスの戦い。オスマン帝国、欧州連合撃破。
- 1397年
- 1399年
[編集] 14世紀の日本
14世紀の日本は、時代区分上では中世、鎌倉時代後期から室町時代の初期に当たる。
2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動、平禅門の乱などによる政治的混乱で北条得宗政権への不満を招いていた。→鎌倉時代
後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏・新田義貞らの活躍でより鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は恩賞の不満と革新的な改革により混乱し、足利尊氏は京都に室町幕府を開き北朝を立て、吉野に逃れ後醍醐天皇の南朝と対立する南北朝時代が開始される。
その後南朝の勢力は衰亡するが、観応の擾乱と呼ばれる足利尊氏と弟直義が対立する内紛が起こると、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。2代将軍足利義詮、3代足利義満の時代まで抗争は続き、室町幕府内部での政治抗争により有力守護大名が南朝に奔るといったパターンを繰り返す。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に足利義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には康暦の政変と呼ばれる室町幕府の政治事件も起こっており、これ以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らのイニシアチブによって誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する →室町時代
元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えるたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。
朝鮮半島でも李成桂が倭寇征伐を行っており、李氏朝鮮が成立する。琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。→琉球
[編集] 人物
[編集] 世界
- エドワード3世、イングランド王(1312年 - 1377年、在位1327年 - 1377年)
- ジョバンニ・ボッカチオ、小説家(1313年 - 1375年)
- 朱元璋(太祖洪武帝)、明王朝の開祖(1328年 - 1398年、在位1368年 - 1398年)
- 李成桂、李氏朝鮮の開祖(1335年 - 1408年、在位1392年 - 1398年)
- ジェフリー・チョーサー、詩人(1343年頃 - 1400年)
- イブン・バットゥータ,旅行家(1304年頃 - 1368年頃)
[編集] 日本
- 北条貞時、鎌倉幕府第9代執権(1271年 - 1311年、在位1284年 - 1301年)
- 夢窓疎石、僧侶(1275年 - 1351年)
- 後醍醐天皇、第96代天皇(1288年 - 1339年、在位1318年 - 1339年)
- 北畠親房、公家(1293年 - 1354年)
- 楠木正成、武将(1294年 - 1336年)
- 新田義貞、武将(1301年 - 1338年)
- 北条高時、鎌倉幕府第14代執権(1303年 - 1333年、在位1316年 - 1326年)
- 足利尊氏、室町幕府初代将軍(1305年 - 1358年、在位1338年 - 1358年)
- 足利直義、足利尊氏の弟(1306年 - 1352年)
- 細川頼之、室町幕府管領(1329年 - 1392年)
- 懐良親王、後醍醐天皇の皇子(1329年? - 1383年)
- 足利義詮、室町幕府第2代将軍(1330年 - 1367年、在位1358年 - 1367年)
- 足利義満、室町幕府第3代将軍(1358年 - 1408年、在位1368年 - 1394年)
- 世阿弥、猿楽師(1363年? - 1443年?)
- 高師直、武将(? - 1351年)
[編集] 10年紀と各年
記事が少ない間、各年、10年紀は14世紀へのリダイレクトです。