松平義方
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松平 義方(まつだいら よしかた、貞享3年(1686年) - 享保6年3月18日(1721年4月14日))は、陸奥国梁川藩の第2代藩主。父は初代藩主・松平義昌。母は丹羽光重の娘。正室は浅野綱長の娘。官位は従五位下、右近将監。右近大夫。出雲守。侍従。左少将。子に義真、近姫(徳川宗春養女、上杉宗房室)がいる。
幼名は久太郎。求馬。初名義賢。元禄13年(1700年)12月に叙任する。正徳3年(1713年)の父の死去で後を継いだ。しかし、藩財政の窮乏から新税を設置して重税を強いるなどの悪政を敷いた。享保6年(1721年)3月18日に36歳で死去し、後を子の松平義真が継いだ。墓所:東京都の蓮久院。
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