松平近陳
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松平 近陳(まつだいら ちかのぶ、寛永15年3月3日(1638年4月16日) - 享保4年12月10日(1720年1月19日))は、豊後府内藩の第2代藩主。父は初代藩主・松平忠昭(近陳は長男)。母は酒井忠正の娘。正室は阿部重次の娘、継室は板倉重矩の娘。子に近禎、近苗、娘(三宅康雄室)。官位は従五位下、筑前守、対馬守。号は如元。名は昭重とも。
寛永15年(1638年)3月3日生まれ。幼名は虎之助。延宝4年(1676年)3月27日、父の隠居により後を継いだ。このとき、弟の松平近鎮に新田領を含めた1500石、同じく弟の松平近良に1000石を分与している。奏者番となった。宝永2年(1705年)11月11日に次男の松平近禎に家督を譲って隠居し、享保4年(1719年)12月10日に82歳の長寿をもって死去した。法号:証真院。墓所:大分県大分市の浄安寺。
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