松里公孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松里 公孝 (まつざと きみたか、1960年2月4日-)は、北海道大学スラブ研究センター教授、2006年4月から同センター長。専門は、ロシア史、ウクライナ史、ロシア地域政治等。
熊本県生まれ。鹿児島ラ・サール高校卒業後、1978年東京大学入学、1985年同大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了後、北海道大学スラブ研究センター助手、助教授を経て、2000年から現職。その間、ソ連、アメリカ合衆国、ウクライナに留学。1996年、第一次世界大戦中のロシアの地方自治体の総力戦体制に関する論文で法学博士を取得。
目次 |
[編集] 評価
現在、日本におけるスラブ研究の第一人者で、論文の質・量、言語能力、海外での評価で群を抜く。旧ソ連で渉猟した文書館の数は、西側の研究者としては世界最高といわれている。現在の使用言語は英語・ロシア語・ウクライナ語・ポーランド語・リトアニア語で、とくに英露については同時通訳をこなすほどの達人である。研究対象が多岐にわたるため、その知的関心の全貌を把握することは困難であるが、近年はロシア帝国論に力を注いでいる。ただし、頻繁に研究対象が変わる近年の研究スタンスに対する批判も少なくない。
[編集] 著作
[編集] 単著
- The Split of the CPSU and the Configuration of Ex-Communist Factions in the Russian Oblasts: Cheliabinsk, Samara, Ul'ianovsk, Tambov, and Tver (1990-95), (Slavic Research Center, Hokkaido University, 1996).
[編集] 共編著
- (石川晃弘・塩川伸明)『講座スラブの世界(4)スラブの社会』(弘文堂, 1994年)
- (和田春樹・家田修)『講座スラブの世界(3)スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
- Empire and Society: New Approaches to Russian History, co-edited with Teruyuki Hara, (Slavic Research Center, Hokkaido University, 1997).
[編集] 論文(邦語)
- 「総力戦と体制崩壊――第1次大戦期の食糧事業を素材として」『ロシア史研究』46号(1988年)
- 「帝政ロシアの地方制度――1889-1917」『スラヴ研究』40号(1993年)
- 「ロシアにおける農学者の運命――1911年から1916年にかけてのその数的変動」『ロシア史研究』53号(1993年)
- 「ロシアの村落穀物備蓄制度――1864-1917年」『スラヴ研究』42号(1995年)
- 「アパラート・デモクラシー――ロシアの中小都市, 郡における政治と行政」『スラヴ研究』43号(1996年)
- 「19世紀から20世紀初頭にかけての右岸ウクライナにおけるポーランド・ファクター」『スラヴ研究』45号(1998年)
- 「エスノ・ボナパルティズムから集権的カシキスモへ――タタルスタン政治体制の特質とその形成過程 1990-1998」『スラヴ研究』47号(2000年)
- 「ポロニズムと闘うコミッサールから農村啓蒙者へ――帝政下右岸ウクライナにおける調停吏制度」『スラヴ研究』49号(2002年)
- 「ソ連崩壊後のスラブ・ユーラシア世界とロシア帝国論の隆盛」山下範久編『帝国論』(講談社, 2006年)