柏原八幡神社
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柏原八幡神社 | |
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![]() 複合社殿、背後に三重塔 |
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所在地 | 兵庫県丹波市 |
主祭神 | 誉田別命(応神天皇) 姫三柱之命 息長足姫命(神功皇后) |
社格等 | 県社 |
創建 | 万寿元年(1024年) |
本殿の様式 | 三間社流造、檜皮葺 |
例祭 | 厄除大祭(2月17日・2月18日) |
主な神事 | 青山祭壇の儀、かけ餅神事、湯立神事 |
八幡神社(はちまんじんじゃ)は兵庫県丹波市柏原(かいばら)町にある神社。
創建は平安時代の万寿元年(1024年)。 祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神巧皇后)、姫三柱之命。 安土桃山時代再建の複合社殿(本殿と拝殿)が国の重要文化財に指定されている。 また境内には江戸時代再建の三重塔がある。神社境内に塔があるのは全国で18例のみである。
スダジイが覆い茂る柏原八幡山73ヘクタールは兵庫県の環境緑地保全地域に指定され、ひょうごの森百選やひょうご風景百選にも選ばれている。
目次 |
[編集] 縁起
- 1024年(万寿元年) - 石清水八幡宮の分霊を祀った柏原別宮として創建
- 1345年(貞和元年) - 南北朝争乱の兵火により創建当時の社殿を焼失
- 1467年-1469年(応仁年間) - 三重塔が建立される
- 1579年(天正7年) - 再建された社殿を織田信長の明智光秀の丹波攻めの兵火により焼失
- 1582年(天正10年) - 羽柴秀吉が当時の黒井城主である堀尾茂助吉晴に社殿の造営を命じる
- 1585年(天正13年) - 現在の本殿と拝殿が竣工する
- 1813年(文化10年) - 数回の焼失と再建を経て、現在の三重塔が再建される
- 1913年(大正2年) - 複合社殿が古社寺保存法により特別保護建造物に指定
- 1929年(昭和4年) - 複合社殿が国宝(旧国宝)指定
- 1950年(昭和25年) - 複合社殿が文化財保護法施行により重要文化財指定
- 1975年(昭和50年) - 国庫補助事業として複合社殿の解体修理工事(拝殿半解体・本殿全解体、期間昭和50年1月~昭和51年9月)
[編集] 文化財
- 複合社殿 - 安土桃山時代(1585年)築、国の重要文化財
- 拝殿 - 入母屋造、妻入唐破風造、檜皮葺
- 本殿 - 三間社流造、檜皮葺
- 三重塔 - 江戸時代後期(1813年)築、三間三重塔婆、本瓦葺、和様+禅宗様、桧皮葺、総高23m、兵庫県指定文化財
- 銅鐘 - 豊臣秀吉が大砲を鋳造する材料として集めたものの一つと伝わる。康応元年(1389年)と天分12年(1543年)の二つの年号が刻まれているのが特徴。兵庫県指定文化財
[編集] 祭事
- 厄除大祭(2月17日、18日) - 「柏原の厄神さん」の通称で親しまれ、中北部近畿最大の規模で、毎年10万人が参拝に訪れる。期間中は社殿と塔がライトアップされる。
[編集] 所在地
兵庫県丹波市柏原町柏原八幡山400-1
[編集] 交通アクセス
[編集] 周辺情報
- 柏原藩陣屋跡 - 国指定史跡
- 柏原藩織田家旧邸長屋門
- 織田家廟所
- 柏原町歴史民俗資料館(田ステ女記念館)
- 旧氷上郡各町村組合立高等小学校 - 明治18年築の洋風校舎建築
- 兵庫県立柏原高等学校記念館 - 明治44年築の洋風校舎建築
- 木の根橋 - 県天然記念物
- 丹波市役所柏原支所
- 太鼓やぐら
[編集] 外部リンク
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