栗原祐幸
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栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年6月5日 – )は、昭和・平成期の政治家。元労働大臣・防衛庁長官。1996年勲一等旭日大綬章受章。元衆議院議員の栗原裕康は長男。
[編集] 来歴・人物
静岡県田方郡中郷村(現・三島市)生まれ。東京府立八中(現・東京都立小山台高等学校)、佐賀高等学校を経て、1944年東京帝国大学法学部を卒業。学徒出陣により中国に出征する。軍隊時代に上官を殴打するなど、若い頃から鼻っ柱が強い性格だった。
戦後、東大時代の恩師南原繁より、「戦前の日本は優秀な人材が官僚組織や軍部に集中して民間の裾野が手薄になり、権力の暴走をくい止めることができなかった。君の場合、地方に活躍の場を求めるのも良いのではないか」との助言を受け、静岡県農業会に就職する。若くして県農協中央会専務理事まで昇進し、1962年第6回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で静岡地方区から立候補し当選する。参院では河野謙三に近かった。2回当選の後、1972年第33回衆議院議員総選挙に旧静岡2区から当選。以後7回連続当選を果たす。また派閥は宏池会に加入。
通産政務次官、衆院外務委員長等を経て、1978年第1次大平内閣にて労働大臣として初入閣を果たす。その後1983年に第2次中曽根内閣にて、および1986年第3次中曽根内閣にて防衛庁長官に就任。在任中は次期支援戦闘機(FSX)の日米共同開発に道筋をつけ、また防衛費の国民総生産(GNP)1%枠を撤廃させた。1993年政界を引退する。
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