藤波孝生
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藤波孝生(ふじなみ たかお、1932年(昭和7年)12月3日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員。三重県度会郡神社町(現在は伊勢市)出身。
早稲田大学時代は早稲田大学雄弁会で活躍。当時の愛称は「神様」。
大学卒業後、家業に従事。青年会議所を組織し、それを選挙母体として三重県議会議員に当選。
浜地文平から後継に指名され、1967年、自由民主党から衆議院議員選挙に立候補し初当選。当選11回。若手の頃は同期当選の河野洋平、山口敏夫らと共に行動、河野主宰の超派閥による政策勉強グループ「政治工学研究所」(政工研)の主要メンバーとなる。1976年に河野らが新自由クラブを結成する時、ギリギリまで態度を保留し、結局参加を見送った。
その後は中曽根康弘の第一の側近として、労働大臣、内閣官房長官、自民党国会対策委員長などを歴任。一時は渡辺美智雄と並んで中曽根派のプリンスといわれた。また、河野、山口らが抜けた「政治工学研究所」を引き継ぎ、政策グループ「新生クラブ」に発展させて、そのリーダーとして活動した。
1989年5月、リクルート事件に関与したとして受託収賄罪で在宅起訴、1999年10月に懲役3年、執行猶予4年の有罪が確定した。リクルート事件に関しては、藤波は中曽根を庇ってひとり犠牲になったとの同情を寄せる声も多い(反面、受領したコスモス株の売却益で自宅を新築したとも言われ批判もある)。2003年、山本教和県議を後継者に指名し政界引退。田村元の推す中川正美県議、伊勢市長の水谷光男らの推す三ツ矢憲生が相次いで出馬表明し、三すくみの形勢となったが、最終的に三ツ矢が自民党の公認を受け山本・中川は出馬を断念、三ツ矢は第43回衆議院議員総選挙に当選した。
俳人としても有名で、孝堂(こうどう)の俳号で多くの俳句を残した。民主党国対委員長の渡部恒三とはじっ懇の仲である。
[編集] 経歴
- 三重県立宇治山田高等学校、早稲田大学卒業
- 1967年1月 衆議院議員選挙に初当選
- 1979年11月 労働大臣(第2次大平内閣)
- 1982年11月 内閣官房副長官(第1次中曽根内閣)
- 1983年12月 内閣官房長官(第2次中曽根内閣)
- 1985年12月 自民党国会対策委員長
- 1989年5月 受託収賄罪で在宅起訴
- 1993年7月 衆議院議員選挙に落選
- 1996年10月 衆議院議員に返り咲き
- 1999年10月 有罪確定
- 2003年10月 政界引退
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