桂米喬
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桂 米喬(かつら べいきょう)は、上方落語の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。
- 初代 桂米喬(1847年 - 1928年9月18日)は、後の7代目桂文治(2代目桂文團治)。
- 2代目 桂米喬(1859年 - 1904年5月25日)は、初代桂文我門下で文蝶、1885年に2代目桂文團治(後の7代目桂文治)門下で初代米紫を経て、1891年に2代目米喬を襲名。三友派で活躍、俗に顔に天然痘にかかりあばたがあった事から「鰐顔(ワニがお)」いかけ屋が得意だった事から「いかけ屋の米喬」と呼ばれた。長男は門下で落語から喜劇に転じた桂小米喬(後の俳優の曾我廼家満月)。本名: 井上新一郎(ないし辯次郎、辯二郎)。享年45。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X