桜井良太
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桜井 良太(さくらい りょうた, 1983年3月13日 - )は、三重県桑名市出身のバスケットボール選手。身長194㎝、体重75㎏、ポジションはポイントガード/シューティングガード。日本人離れした高い身体能力と、身長に似合わない類希なドリブル・ボールハンドリング力と視野の広さを持つ。バスケットボール日本A代表、李相佰杯日本代表。家族は父・母・姉の4人。姉の桜井もも子も、トヨタ紡織所属の同じくバスケットボール選手。
[編集] キャリア概観
姉の影響でバスケットを始める。桑名市立長島中学校を卒業後、三重県立四日市工業高等学校に入学。高校3年生時のインターハイ初戦、西塔佳郎、松本怜、伊藤孝志らを擁する強豪福岡大学附属大濠高等学校を相手に37点(3P1本、2P13本、フリースロー8本)をする活躍で番狂わせを起こしてみせた。そんな彼の名を一躍全国に知らしめたのが、高校3年生時のウィンターカップだ。田臥勇太など数多くの名選手を輩出している秋田県立能代工業高等学校を相手に、51点(うちフリースロー連続記録達成(21本),3P6本、ダンク3本)7ブロックという大活躍により、ここでもインターハイに続いて、大番狂わせを起こしてみせた。またダンクでリングを掴んだまま回転するさまからメリーゴーランドダンクとも呼ばれ、全国区の選手へとのし上がった。
高校卒業後は愛知学泉大学に入学。1年生時から東海地区、西日本の各大会での新人王を受賞、その後も最優秀選手賞などを受賞。転機は大学3年生の時に訪れる。日本A代表監督にNBAプレーヤーのトニー・クーコッチやドラゼン・ペドロヴィッチを育てたジェリコ・パブリセヴィッチが就任。彼によって、未来の日本代表を担う大学生を集めたスプリングキャンプが行われ、その参加メンバーに選出される。このキャンプで監督の目に止まり、同年日本A代表候補に大学生として西塔佳郎、大宮宏正、竹内譲次、竹内公輔、菅谷徹らと共に選出される。その後ヨーロッパ遠征を経て、キリンカップバスケットボール2004、第1回スタンコビッチカップに出場。
その後、第2回のスプリングキャンプにも参加、2005年のA代表候補にも選ばれ、スタメンに定着。第23回FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会 東アジア地区予選に出場後、2度目のヨーロッパ遠征を経て、キリンカップバスケットボール2005、キリンインターナショナルバスケットボール2005、第23回FIBAアジア男子選手権に出場。そして、この第23回FIBAアジア男子選手権においてオールアジア2ndチームに選ばれる。
スーパーリーグ2005-2006年シーズンには、新人ながらもトヨタ自動車アルバルクの優勝に貢献。2006年、日本で開催されるFIBAバスケットボール世界選手権に向けた日本A代表に選ばれる。