桜島地震
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桜島地震(さくらじまじしん)は、1914年(大正3年)1月12日午後6時29分、鹿児島県中央部、薩摩半島と桜島に挟まれた鹿児島湾で発生した地震。
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[編集] 概要
桜島大正大噴火の最中に起きた地震であり、噴火開始から約8.5時間後に発生している。通常の火山性地震はマグニチュード6以下であるが、この地震は例外的に規模が大きい。単純な火山性地震ではなくマグマの侵入によって地殻の強度が低下し元々蓄えられていたひずみが解放されたため大地震につながった[1]。
[編集] 被害
当時の鹿児島市と谷山村(後の谷山市)を中心に死者29名、負傷者111名、住宅の全壊120棟、半壊195棟の被害があった。道路は土砂崩れにより各所で寸断され、特に鹿児島郡西武田村(後の鹿児島市)の天神ヶ瀬戸では県道が高さ約3.6m、長さ約54mにわたって崩壊し20名以上が下敷きとなり10名が死亡した[2]。鉄道は落石や路盤崩壊などにより鹿児島駅 - 重富駅間と武駅 - 伊集院駅間が不通となった。伊集院駅方面は1月13日午後、重富駅方面は1月14日未明に復旧している[3]。地震の揺れによって鹿児島測候所(後の鹿児島地方気象台)の地震計が破損した。小規模な津波が発生しており当時鹿児島湾沿岸にあった塩田が被害を受けた。
[編集] 市内の混乱
地震発生が桜島大正大噴火の最中であったことから鹿児島市内では住民の不安が加速され、大津波発生などの流言が飛び交い市外へ避難しようとする人々が続出した。