植木光教
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植木 光教(うえき みつのり、男性、1927年3月24日 – )は、昭和・平成期の政治家。元総理府総務長官・沖縄開発庁長官。
[編集] 来歴・人物
京都府出身。京都一中、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。東大時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」立ち上げに加わったりした。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。1950年卒業後はNHK勤務を経て町村金五(元自治大臣)秘書となる。
1963年、参議院議員補選に自由民主党公認で京都選挙区から立候補して当選。以後5回当選する。派閥は宏池会に所属した。1974年三木内閣にて総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として入閣。ちなみに植木の下で(短期間)沖縄開発政務次官を務めたのが立川談志である。その後自民党両院議員総会長(1986年)等を務め、1989年政界を引退。1997年勲一等旭日大綬章受章。
1980年代には首里城の復元実現に尽力するなど、沖縄には強い思い入れを持っており、現在「沖縄ファンクラブ」の会長を務めている。その他「世界連邦運動協会」[1]会長、「国際刑事裁判所問題日本ネットワーク」[2]共同代表としても活躍中である。
[編集] 外部リンク
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