武衛騒動
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武衛騒動(ぶえいそうどう)とは、寛正6年(1465年)に発生した室町幕府の内紛のことである。
将軍家々宰の伊勢貞親は8代将軍足利義政の信任を良いことに、管領武衛家(斯波氏)のお家騒動に介入し斯波義敏と斯波義廉の間をとりなして私腹を肥やし、幕政を混乱に陥れた。将軍家々宰の身分でありながら管領家々督に口をはさむ貞親の横暴に激怒した有力者細川勝元と山名宗全は協力して貞親を御所から追放した。
背景に、次期将軍を予定されていた足利義視の排斥問題も絡んでいると伝えられる。のち、勝元と宗全が対立し応仁の乱が勃発すると、貞親は赦免されて復権した。