氷上侵攻
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氷上侵攻(ひょうじょうしんこう)は、北方戦争におけるスウェーデン、デンマーク間の戦闘(カール・グスタフ戦争)でのスウェーデン王カール10世が指揮した奇襲侵攻作戦をいう。この成功によりスウェーデンはデンマークを屈服させ、1658年のロスキレ条約へと導いた。現代においてもスウェーデン人はこの作戦を誇りとしている。なお、この戦術は、日本ではしばしば源義経の鵯越や、織田信長の桶狭間の戦いと比較される(以上、第一の氷上侵攻)。 これとは別に、デンマークへの氷上侵攻は、大北方戦争でも試みられており、こちらは「嵐に消えた氷上侵攻」とも呼ばれている(第二の氷上侵攻)。
第一の氷上侵攻は、北方戦争におけるデンマーク戦役で行われた。1657年、ポーランド戦役を終えたカール10世に対してデンマークが宣戦布告を行った。ポーランドで転戦していたカール10世は、すぐさまドイツへと向かい瞬く間にユトランド半島を制圧した。 しかしここで侵攻は一時中断を余儀なくされた。デンマークを屈服させるには首都コペンハーゲンを攻撃するしかなかったが、コペンハーゲンはシェラン島に位置しており、陸伝いの進軍が困難であったからである。しかしたまたま1657年から1658年にかけて猛烈な寒波が同地を襲い、ストーラベルトとリラベルトの二つの海峡が氷結した。カール10世は好機を見逃さず、氷上侵攻を命じて大成功を収め、デンマークは戦意を喪失した。この結果スウェーデンは、北方戦争の事実上の覇者となった。
第二の氷上侵攻は、大北方戦争におけるデンマークとの戦役で行われた。スウェーデンは緒戦においてロシア帝国との一騎打ちに敗れ、帝国の称号を失っていた。しかしロシアと同盟を結び背後からスウェーデンを脅かすデンマークを屈服させることができれば、スウェーデンは改めて態勢を立て直してロシアと対峙できる可能性があった。 カール10世の孫にあたる時の王カール12世は、当初ノルウェー方面への侵攻を考えて、スウェーデン本土のスコーネに陣取っていたが、1715年から1716年にかけてデンマークを寒波が襲った。これによりエーレスンド海峡が氷結して氷上侵攻が可能となり,カール12世はその準備を進めた。デンマーク側も58年ぶりの悪夢の再来を覚悟して島全体に防衛体制を敷いた。
ところが、スウェーデンが侵攻命令を下す直前になってエーレスンド海峡を嵐が吹き荒れ、氷は破壊され再びの架橋は期待できなくなった。この結果、作戦は中止された。カール12世は、以後デンマーク本土に対する牽制を諦め、その対象をノルウェー本土に定めて行く事となった。