江尻城
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江尻城(えじりじょう)は駿河国江尻(現在の静岡県静岡市清水区江尻町)にかつてあった城である。
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通称 | |
城郭構造 |
輪郭式平城 |
天守構造 | |
築城主 | |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | |
廃城年 | |
遺構 |
なし |
位置 |
[編集] 概要
縄張りは馬場信春。巴川を背後に控え、本丸を中心に三方を囲う輪郭式城郭の平城である。甲州流築城術の特徴のひとつである丸馬出しが3箇所設けられ、また堀も巴川の水が引き入れられた水掘であった様である。東西400m・南北260m程の近世城郭にも匹敵する規模を持つ。
武田氏の駿河経営の拠点とされ、城将も山県昌景、後に穴山梅雪と重臣中の重臣が配され、武田氏の重要視の程を伺わせる。実際、武田信玄から穴山信君に当てた書状には、朝比奈信置等の駿河先方衆を夜間に本丸に入れないよう用心するように指示したものが現存する。
武田氏滅亡後、徳川氏の勢力下になり、慶長6年(1601年)に廃城になった。
現在は市街地化により、当時の姿を偲ばせるものは無く、本丸跡は清水江尻小学校の敷地となっている。周囲には、大手町、二の丸町など、当時を偲ぶ地名が残っている。