江田船山古墳
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江田船山古墳(えたふなやまこふん)は、熊本県玉名郡菊水町(現和水町)に所在する清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、75文字を銀象嵌(ぎんぞうがん)で記した大刀が出土したことで有名な前方後円墳である。
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[編集] 概要
この古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62メートルあり、盾形の周濠をもつ。古墳からは、豊富な副葬品が出土している。
古墳の周りには、短甲(上半身を守るよろい)を着けた武人の石人が配置されている。このような古墳の周りに石人・石馬を配置するという独特の型式は、石人山古墳(筑後市、130メートル)に始まり、6世紀前葉の岩戸山古墳(八女市、132メートル)で最盛期を迎え、以後、消滅する。この岩戸山古墳が527~8年にヤマト政権(継体朝)と闘って敗北した筑紫君磐井の墓である。江田船山古墳も筑紫君一族の配下に連なって地域の中首長の墓であったことが想像できる。
[編集] 銘文
- 台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利ヵ)弖、八月中、用大鉄釜 并四尺廷刀、八十練、□(九ヵ)十振、三寸上好□(利ヵ)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也(東野治之)
- この銘文の読み方や内容、意義等については鉄剣・鉄刀銘文の項目を参照。
[編集] 被葬者
鉄刀に刻まれている銀象嵌の銘文にある「獲□□□鹵大王」は、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した金象嵌の鉄剣の銘文の「獲加多支鹵大王」と同じ大王であり、「ワカタケル大王」と読めることが分かった。ワカタケル大王は、雄略天皇に比定されている。被葬者ムリテは雄略の宮廷で役所に勤務する文官「典曹人」として仕えた。また、東国の稲荷山古墳の被葬者ヲワケは宮廷の親衛隊長「杖刀人首」として仕えた。5世紀中葉以降のヤマト政権は、各地域社会から出身の大・中・小首長達を宮廷に出仕させ、王権が直接掌握し、倭社会を統治していたことが考えられる。
[編集] 副葬品
- 銅鏡4枚
- 金銅製(こんどうせい)冠2
- 金銅製冠帽(かんぼう)1
- 金銅製帯金具
- 金銅製飾靴
- 金製垂飾付耳飾
- 鉄刀四(銀象嵌大刀含む)
- 短甲2
- 金銅製鏡板付轡(くつわ)を含む馬具
- 鉄剣・鉄棒・冑(かぶと)などの武具
- その他に装飾品や須恵器があり、多数の中国・朝鮮系の遺物が含まれていることが注目される。
[編集] 関連項目
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