沙悟浄
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沙悟浄(さ・ごじょう、沙悟淨 Sha Wujing)は、小説『西遊記』の主要登場人物の一人である妖仙。もとは天界の役人で捲簾大将(けんれんたいしょう。天帝の謁見を求める者が罷り出た時に、天帝の前の御簾を巻き上げる担当)職を預かる身。天帝の宝である玻璃の器を割った廉で天界を追われ、南瞻部州・唐土の流沙河で人を喰らう妖仙となった。
ある日、天竺に経典を取りに行く人物を探していた観音菩薩と出会って慈悲を乞い、「沙悟浄」という法名と戒律を与えられた。(なお、悟浄は「実名敬避俗」(諱参照)に準じ師や兄など目上の者の呼びかけのみ使用され、普通の人間は通称の沙和尚と僧侶名で呼ぶ(孫悟空の孫行者、猪悟能の猪八戒と同じ)。原作では僧形をしているが人間とは異なる色黒の容姿から「竈君」(竈(かまど)の神様)としばしば間違われる様が描かれている。
その後、観音菩薩の約束どおり訪れた玄奘三蔵に弟子入りし、孫悟空、猪八戒らと共に天竺まで経典を求めて旅をした。本編では、妖仙が現れると悟空から三蔵の警護を命じられる役回りで、大した活躍をしていない(もしもの時に大事な三蔵法師の護衛をまかされる程悟空から信頼されている、と言い換えることも出来る)。元代の朝鮮の資料朴通事諺解(ぼくつうじげんかい)には悟空と八戒のみが紹介されていることから、西遊記物語への登場がもっとも遅かったものと推察され、登場の理由は登場人物を道教の五行思想にそって配置するためであり、そのために最後に付け加わったキャラクターともいえる。『大唐三蔵取経詩話』中の玄奘三蔵が流沙河という砂漠で幻想に見、励まされた深沙神がモデルと推測される。ほかに、ヨウスコウカワイルカをモデルに考え出されたという説もある(岩波文庫の『西遊記』の本である蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳を引き継いだ中野美代子は後に自著内でヨウスコウカワイルカ説をヨウスコウワニ説に移行した)。
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[編集] 日本の沙悟浄
日本では「河童」とされることがあるが、それは最初流沙河の水中から現れたことに由来する日本の児童向け作品固有の意訳である。原作の上での個性の薄さのお陰で、日本の西遊記の翻案では、妖怪でありながら妖怪を憎み、常に「自分とは何か」を自問している、一攫千金を目論むマイペースな存在、常に冷静沈着なクールな存在などかなり思い切った演出がなされ、面目躍如たるところがある。
中島敦が彼を主役とした小説「悟浄出世」、「悟浄歎異」を著している。
[編集] 一般的なイメージ
- 半月刃の杖「降妖杖」(“降魔の宝杖”とも)をもつ(日本のドラマでは月牙または釵を使用)
- 九つの髑髏の首飾り(玄奘三蔵の先達一説には玄奘三蔵の前世の9人の首→三蔵一行が流沙河を渡る際に首から外され、恵岸行者の持参した瓢箪と組み合わせて筏にされた)
[編集] 名前の遍歴
- 捲簾大将(天帝の任命)
- 河伯(流沙河の水怪)
- 沙悟浄(観音菩薩の命名)
- 金身羅漢(釈迦如来の命名)
- 沙和尚 (三蔵法師が付けた呼び名)
- 沙僧
[編集] よく知られるエピソード
首に掛けていた九つの髑髏はすべて三蔵法師の前世の髑髏。すなわち三蔵は下界に転生させられてからこれまで九回も西天取経を志し、かついつも流沙河で立ち往生したあげく沙悟浄に取って喰われていたわけである。ちなみに三蔵はこの十回生まれ変わる間一度も精を漏らしたことがない聖僧ということから、妖仙達の間では三蔵法師を喰えば不老長生となるとされていた。それでいっそう三蔵一行は妖仙達に狙わることになるわけであるが、十回目のチャレンジでは悟空以下の強力メンバーに加え宿敵・沙悟浄まで部下にし、ついに三蔵は取経に成功したのである。
[編集] 日本で沙悟浄を演じた俳優
日本では長身の俳優が演じることが多い。